アラ還オヤジの備忘録

雑感や、その他諸々。

アマルティア・センは、今の日本をどう思うだろうか?

ネルソン・マンデラとポケトークではBBC Learning English6 Minute Englishというプログラムを紹介したが、他に自分が重宝しているBBCのシリーズにNews Reviewがある。文字通り、その時々のトピックをweeklyで紹介するのだが、このプログラムの良いところは、とにかく取り上げるトピックがタイムリーということだ。先週は、Russian Navalny Protests、そして今週、2月1日にアップロードされたトピックはMyanmar: Military takes controlだ。2月1日と言えば、スー・チー氏が軍に拘束されたというニュースが流れた当日だ。アジアとヨーロッパの間で時差があるとは言え、一体どんな進行でコンテンツを作成しているか、あまりの迅速さに舌を巻く他ない。

News Reviewでは、毎回、3つのニュースメディアのヘッドラインが引用される。今回、イギリスのテレグラフ紙から引用された三つ目のヘッドラインは以下の通り。

Military power grab deals killer blow to Myanmar's fledgling democracy.

“Fledgling” democracyとは、中々手厳しい。

 

ミャンマー民主化で思い起こされるのは、「貧困の克服」(アマルティア・セン著、大石 りら訳)の中の、次の一節だ。

「民主主義形態の政府や比較的自由なメディアが存在する国々では大飢饉と呼べる事態など一度も起こったことがないという事実も何ら驚くに値しないのです。」

民主主義国家では飢饉が起らないというのだ。ミャンマーが軍政から民政に移行したのは2011年。およそ10年前のことだ。しかし、その後もロヒンギャの難民問題は、幾度となく民主主義陣営各国からの批判に晒されてきた。センの言葉通り、もし民主主義国家では飢饉が起きないのなら、ロヒンギャ問題は、なぜ解決しないのか。或いは、“fledgling”な民主主義では解決が難しいのか。

 

そもそも一つの国の中で“飢饉”が発生しているとは、どんな状態なのか。センは、本書の中で次のように述べている。

「実際には、飢饉が人口の5%以上に被害を及ぼすことは稀であり、それが10%以上にのぼることはまずありません。」

また、飢饉は、自然災害のようなものと結び付けられやすいが、実は、

「1973年のインド、1980年初頭のジンバブエボツワナといった、世界でもっとも貧しい民主主義国家ですら、実際に深刻な旱魃や洪水その他の自然災害に見舞われた時には、食糧供給を行って飢饉の発生を被らずにすんだのです。」

と、民主主義国家においては、甚大な自然災害下でも、飢饉が発生しなかった事例を紹介している。その一方、

「中国が三年ものあいだ、政府の政策の誤りを修正せずに放っておいた結果、1958年から61年にかけて三千万人もの餓死者を出してしまいました。議会には野党勢力もなく、複数政党制による選挙も行われず、自由なメディアも存在しなかったために、政府の政策の誤りが批判にさらされることがなかったのです。」

と、非民主主義国家で飢饉が発生する原因を説明したうえで、

「飢饉は、それを阻止しようとする真剣な努力さえあれば、簡単に阻止できるものなのです。」

と結んでいる。

では、なぜ民主主義国家では、真剣な努力がなされるのか。それは

「民主主義国家では選挙が行われ、野党や新聞からの批判にもさらされるので、政府はどうしてもそのような努力をせざるを得」

ないから。さらに、 “飢饉の発生において経済的不平等が果たす役割”として、

「たとえば突然の大量解雇など、市場機能の急激な低下によって新たに生じた不平等のおかげで、ある社会集団に属する人々だけが飢餓に見舞われることもありうるわけです。」

と述べ、続けて、さらに強い口調で、

「境遇に格差が生じたために他の社会集団は無傷だというのに一部の社会集団だけが壁にたたきつけられるようなことが起(こりうる)

として、それを防ぐためには、社会保護が必要不可欠とし、次のように結論付けている。

「物事が順調に運んでいる場合には、民主主義の保護的な役割が切望されることはあまりないかもしれません。しかし、何らかの理由で事態が大混乱に陥った時にこそ、民主主義はその真価を発揮してくれるものなのです。」

何らかの理由で事態が大混乱に陥って、一部の社会集団だけが“壁にたたきつけられる”ようなことが起っても、民主主義国家は、それを阻止しようと真剣に努力し、飢饉の発生を防ぐことができる…。

 

ここまで読んで、はたと考え込んでしまった。今の日本は民主主義国家なのだろうかと。

菅首相は先月の記者会見で「昨年以来、我が国の失業率は直近で2.9%と主要国で最も低い水準」と胸を張った。失業した国民が100人中2.9人でも(実際の失業率はもっと高いに違いないが)、その2.9人は“壁にたたきつけられている”のだ。しかし、いまの日本政府が、それを阻止しようと真剣に努力しているのか。一部の限られた業種、条件のグループが優遇され、そこから外れれば、“飢饉”状態を免れない。たとえば、大学授業料と“井戸塀”で紹介したような、一日一食で我慢せざるを得ない大学生も存在するのだ。

 

本書は、アジア初のノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センが、1997年から2000年にかけて行った四つの講演の論文集だ。センは本書の中で、日本を民主主義の“成功事例”として度々紹介しているが、はっきり言って“ベタ褒め”状態である。そんなセンが、今の新型コロナ禍での日本政府の対応をみて、一体どう思うのだろうか。

因みに、本書の中では、故小渕恵三元首相の発言が幾度となく紹介されている。小渕元首相といえば、官房長官時代には“平成おじさん”などと言われ、田中真紀子氏からは“凡人”などと揶揄されていたのだが、こうして世界的に著名な学者の講演の中で、その言葉が賞賛と共に引用されているのを見ると、日本人として誇らしい気持ちになる。それに引き替え、“令和おじさん”はと言えば…。

 

センは、

「人々の批判に直面し選挙で支持してもらわなければならない場合、統治する側には、人々の要求に耳を傾けるべき政治的インセンティブがあるのです。」

と言い、

「政府が必ず人々のニーズに応えて、また、苦境にある人々を支援できるように、民主主義の手段的な役割─選挙、多党政治、報道の自由など─は、きわめて実際的な重要性を持ちます。」

とも言う。これは、政府が苦境にある人々の要求に耳を傾けないのであれば、国民は民主主義の“手段”を用いろということだ。今年は衆院選がある。コロナ下での日本政府の対応を目の当たりにした日本国民は、どのように“手段”を用いるのだろうか。

大学授業料と“井戸塀”

昨今のコロナ禍を巡る報道でも、大学生の窮状を伝えるものには心が痛む。先日目にしたテレビニュースでは、都内に住むある学生は、食費を切り詰めるために一日一食で我慢しているという。バイトをしようにも、それまでのバイト先だった飲食店は閉店し、新たなバイト先は、簡単には見つからない。両親には、高い大学の学費を含め、これまでの仕送り以上の金額の送金を望むのは難しい。いっそのこと、地元に帰ることができればよいが、東京から地方への移動は憚られる。そんな八方ふさがりの状況の中、今は、一日一食でじっと我慢するしかないという。生活困窮者に対しては、国もいろいろな施策をうっていると国会でも説明しているのだが、どうも、“本当に困っている人”に届いていない気がして仕方ない。

 

自分が大学生だった頃、今からおよそ40年前のことだが、その当時の学生たちも決して裕福ではなかった。ただ、その一方で、学費は現在に比べてずいぶん安かったと思う。記憶が曖昧なので、ちょっとググってみると、40年前(昭和55年)の国立大学の年間授業料は180,000円(入学金は80,000円)とのこと。一方、今はというと授業料が535,800円、入学料は何と282,000円というのだ。授業料は約3倍、入学金に至っては3.5倍だ。物価が違うとは言え、いくらなんでも高すぎだろう。因みに物価上昇率だが、総務省発表の「消費者物価指数」によれば、2019年の物価は昭和55年(1980年)のわずか1.36倍だ。この授業料、当時の自分の境遇からすると、とてもじゃないが大学入学を躊躇するほどだ。何しろ自分の場合は、経済的理由から、学費が高い私学への進学は到底考えられなかったし、国公立に合格出来ても、奨学金をもらうのが前提だった。お陰様で大学に合格し、奨学金も受給できたので、何とか大学を卒業することができたのだ。

余談になるが、大学を卒業する際、奨学金返済の“保証人”を決めるよう言われ、その時、研究室で面倒を見てくれていた助教授の先生に保証人をお願いしたら、酷く怒られた記憶がある。それはそうだろう、その当時は、「保証人」の責任の“重さ”もまるで分っていない世間知らずの学生だった。仕方なく、同じように保証人が必要だった研究室の同級生と、互いに保証人になったのだった。当時の自分の周りは、そんな貧乏学生が多かった。因みにこの「保証人」とは、一年ほど前に再会したのだが、外見は随分と“ジジイ”風になっていたものの、元気そうにやっていた。お互い相手に迷惑をかけることなく、無事、奨学金を返済できたのだった。有難いことだ。

さらに余談になるが、その奨学金は10年がかりで返したのだが、カミさんと結婚した時には、まだ返済の途中だった。結婚後に“借金”を抱えていることが発覚し、カミさんに、どうして結婚前に教えてくれなかったのかと、なじられた。借金があったら結婚しないという判断になったかどうかは謎だが、まあ、今となっては、ほろ苦い思い出である。

 

さて、話を戻すと、そんな貧乏学生にとって、当然バイトは不可欠だ。だれもが目に見えない看板を首から下げて人生を歩んでいる。そこに書かれているのは…で、イタ飯屋で学生アルバイトをしていたと書いたが、そこでは、店が終わると店長が自ら賄いを作ってバイト達にふるまってくれた。そもそもバイトを選ぶ基準は、時給の高低よりも“賄い”があるかどうかの方が優先度が高かった。家庭教師のバイトもしていたが、そちらも夕飯を食べさせてくれるというのが必須条件だった。

ある家庭教師のバイト先でのこと。その家は、家族全員が揃って夕飯を取るのだが、自分もその末席に加えてもらい、いっしょに夕飯を食べさせてもらっていた。大家族で、おばあさんも一緒に食卓を囲んだのだが、ある日のこと、そろそろ食事も終わる頃、そのおばあさんが私に「“イドベイ”って言葉、知ってる?」と聞いてきた。聞いたことのない言葉だった。正直に知らないと答えると、おばあさんは、“井戸塀”の意味を説明し始めた。政治家というのは、国のためには私財もつぎ込み、結果、井戸と塀しか残らない…。

 

あれから40年、今の政府与党の皆さん方は、“井戸塀”という言葉はご存じなのだろうか?国交副大臣のIR汚職やら、農相の鶏卵汚職やら、立場を利用して私腹を肥やす事例が後を絶たないところを見ると、40年前の私と同様、聞いたこともないに違いない。“罪滅ぼし”に、中国企業や卵屋さんからせしめたお金の、ほんの一部でよいから困窮した学生のために使ってみてはとも思うが、そんな発想ができるのであれば、そもそもあのような“みっともない”行動はとらないだろう。

 

話は戻るが、国公立大学の現在の学費のレベルは、本当にどうにかならないものか。私学はともかく、国公立として国費がつぎ込まれているのなら、次の日本を背負う人材を育成する責務があるはずだ。より多くの学生に最高学府での学習の機会を提供することは、国力の維持・向上には不可欠だろう。学生たちが、“一日一食”で我慢するような状況が早く改善されることを願うばかりだ。

郵政民営化とハンコ

今日は、昼からちょっと落ち着かない気分だった。郵便屋さんが午後に本人限定受取郵便を配達に来るのだ。

この“本人限定受取郵便”、あまりなじみがないが、本人以外に渡したらマズそうなものを送ってくるだろうことは容易に想像がつく。今回は自分が使っている、あるネット銀行からだ。

数週間前に、このネット銀行(ここでは“Z銀行”とする)からメールが届いた。(またどうせ、元本保証じゃない怪しい金融商品の勧誘だろう)と思ったら、今回はちょっと違った。Z銀行に限らず、ネット銀行のメリットの一つに、取引金額のレベルに応じて、振込手数料が何回か無料になるというのがあるが、その“振込”先を“登録制”にするというのだ。正確には、“ワンタイムパスワードアプリ”が使える端末、要はスマホを持っていれば登録不要なのだが、5G対応ガラホはかなわぬ夢かでカミングアウトした通り、自分はいまだにガラホを使っている。スマホを持っていない利用者は “お手続きに必要な書類をお送りしますので、コールセンターにお問い合わせください。”とのこと。(おいおい、わざわざ電話しなくちゃダメ?、ネット請求で十分でしょ?)と思いつつ、早速電話すると、今度は、“大変込み合っているので暫くお待ち頂くか、しばらく経ってからお掛け直し下さい”というお馴染みのメッセージが。しばらく経っても状況が好転しないのは経験上明らかなので、そのまま待つことにした。10分以上経過して、ようやくコールセンターの女性の声が聞こえてきた。さて、このオペレーターさん、きっとそれまでの電話応対でいろいろ言われたのだろう、明るい口調を装っているが、明らかにお疲れのご様子で、気の毒になるほどだ。言いたいことは山ほどあったが、まあ、それも大人げないと、メールに書いてあった“必要書類”を送ってほしいと、用件だけを簡潔に伝えた。こちらがずいぶん待たされているのは先方も承知のはずだが、そんなことはおくびにも出さず、さっさと用件だけで電話を終えることに、オペレーターさんの声からも安堵しているのが伝わってくる。電話口で聞かれた内容からも、ネットで請求できない理由はさっぱりわからなかったが、とにかく、無事、書類を送ってもらえることになった。

 

さて、その数日後、郵便物が自宅に届いたのだが、それはZ銀行からの必要書類ではなかった。郵便局からの“本人限定受取郵便のお知らせ”である。要は、Z銀行は件の“必要書類”を本人限定受取郵便で送ってきたのだ。(そこまで必要かぁ?)というのが第一印象。電話でわざわざ本人確認しているのだから、普通郵便でよくないかい?通帳とか、キャッシュカードが入っているならいざ知らず、まだ何も書かれていない用紙ですよ。

この時、思い出したのは、メールにファイルを添付するとき、パスワードを別メールで送られてくるケース。あれは本当に面倒だ。その時はいいのだが、しばらく経って、ラップトップに一旦保存したファイル開けたいとき、パスワードが記されたメールを探すのに、結構時間がかかったりする。送る側からすると、セキュリティーレベルを上げるためには、多少の不便は我慢して、ということなのだが、実は、この方法が“セキュリティーレベルを上げる”ことに、さほど貢献していないというのは、しばらく前からいろいろなところで話題になっている。自分はセキュリティの専門家ではないので、ここでそのことを議論するつもりはないが、少なくとも自分がこれまでやり取りがあった外国人ビジネスマンから、そのようなスタイルのメールは一度も受け取ったことがない。何のことはない、要は“ガラホ”ならぬ“ガラメール”である。(因みに巷では、最近この種のメールの送り方を“PPAP方式”を呼んでいるらしい。“Password付きzipファイルを送ります、Passwordを送ります、An号化(暗号化)Protocol(プロトコル)”の略だそうだ。)

 

さて、話が脱線したが、郵便局からの“本人限定受取郵便のお知らせ”の封を開けると、今度は、配達してほしい日時を電話で連絡しろと言う。また、電話ですか。全く、就任当時のやる気満々の様子から一転、最近は生きているのかどうかもわからないほど存在感が薄いIT担当大臣さんは、今は一体何をしてるんだ、などと八つ当たりしたくなる気持ちを抑え、指定された番号に電話した。

郵便局のオペレーターさんには翌日午後配送の希望を伝え、無事配達予約を完了。そして今日が配達日だ。

 

さて、この本人限定受取郵便、ご想像の通り、“置き配”はNGだ。何しろ受け渡しの際には、運転免許証などの本人を証明する書類の提示と共に、“印鑑”の押印が必須なのだ。この方式、今のご時世から考えると、一体どうなんだろうと思ってしまう。新政権発足後、“目に見える”成果はほとんどないが、その数少ないものの一つが “印鑑”の廃止だったのでは。郵便配達員さんも気の毒だ。新型コロナ感染のリスクを考えれば、本心は、できるだけ顧客との接触は避けたいだろうに、顧客にハンコを押してもらうには、顧客の“腕の長さ”以上のディスタンスを取ることは、物理的に不可能だ。

我が家に訪れた配達員さんは、そんなことはおくびにも出さず、元気な声で“ありがとうございまーす!”と、言っていたが、こちらとしては、(そんな大声出したら、飛沫が飛ぶ可能性も上がるから、もっと静かで大丈夫ですよ。なにしろ、こちらは呼吸器系疾患の既往があるジジイなんだから…。)と、内心ドキドキだ(因みに、その配達員さんがしていたマスクは、最近評判の悪いウレタン製だった)。

Z銀行から送られてきたのは、振込先の口座番号等を記載する用紙と返信用封筒。因みに返信は“普通郵便”です。これって、本当にセキュリティ的に大丈夫なのか?わざわざ顧客に電話させ、ソーシャルディスタンスが取れない“本人限定受取郵便”で用紙を送ってきた割には、最後の詰めが甘いのでは?これなら、ネット経由で口座番号を登録しても、情報漏洩リスクに大して違いはない、というか、ネット経由の方がよほど安全では、と感じるのは、私だけだろうか。

 

それにしても、“郵政民営化”とは何だったのだろうか?劇場化された選挙で “刺客”を送ってまで成し遂げた割には、今も郵便局はハンコ廃止の流れにも乗れないほど、旧態依然の体質で、その一方、“かんぽ”では、顧客を食い物にして、不正三昧。一体、何ための民営化だったのか。現環境大臣のお父さんも、当時と違い、随分角が取れたご様子なので、一度、お考えをお聞かせ頂きたいものです。

ネットスーパーに垣間見えた企業カラー

ネットスーパーを使い始めたのは昨年8月下旬から。コロナ第二波が取り沙汰されていたころだ。現在の“第三波”に比べれば可愛いものだったのだが、それでも当時は、外出は可能な限り控えたいと、自宅が配達区域に入っているネットスーパーをググったところ、幸いにも1社だけ引っかかった。西友である。近所というわけではないが、そう遠くはないJRの駅前にある店舗から、自宅に配送してくれるという。

それまで、その西友の店舗に足を運んだことはほとんどなかった。もっと近くに他のスーパーもいろいろあるということもあったのだが、正直なところ、その店に対してあまりいい印象を持っていなかったのだ。

それまで一、二度、使ったことがあったのだが、建物は古いし、店内は暗い。動線もあまり買いやすいとは言えず、敢えてその店を利用する理由が見当たらなかった。それでも、ネットスーパーということであれば、そんなデメリットは何の関係もない。早速、ネットで注文することにした。二日後の夕方に配送時間を指定して、あとは商品の到着を待つだけだ。

さて、初めて西友のネットスーパーを使った結果だが、予想外の好印象。ネットを見ると、いろいろクレームが書き込まれているが、自分の場合は、そのようなことはなかった。(これなら使えるな)と、その後は、月に2~3回のペースで使い続けていた。

 ところが、今月の緊急事態宣言で状況が激変した。何が変わったか。配達日の指定ができないのだ。配達日を選択する画面を何度もチェックするのだが、すべて×印で埋まっている。これには参った。そもそも“第二波”がきっかけでネットスーパーを使い始めたのに、深刻さがその比ではない“第三波”下で使いえないのでは、目も当てられない。

さて、どうするか。思いついたのは(他のネットスーパーが使えないか、ダメ元で調べてみよう)だ。昨年の8月から、もう随分と時間も経っている。もしかすると、どこか他の店もネットスーパーを始めているかもしれない。早速、ググってみると、ありました。今度はイオン。昨年8月にネットで見たときには、自宅の住所は配達区域外だったのが、いつの間にか区域内の入っていたのだった。

こちらは、まだ地域で浸透していないのか、翌日配送も選択可能な状態だった。早速ネットで商品を注文したのだが、それまで利用していた西友のネットスーパーと比べて、幾つか気が付いた点があったので、以下に比較してみたい。

ウェブサイトの出来

これは、西友の勝ちと言っていいだろう。まず、レスポンス。西友の方はクリックしてから選択されるまでにタイムラグがないが、イオンの方は一呼吸おく感じで、(ちゃんとクリックされているのか)と心配になるくらいだ。実は西友のネットスーパーの正式名称は“楽天西友ネットスーパー” 。楽天が入っているのだ。ネットビジネスのプラットフォーム構築はお手の物だろう。サイトのレイアウトについても、西友の方が一枚上手な印象だ。イオンに比べて文字も大きく見やすい印象なのだが、だからと言って情報量を絞っている風でもない。ウェブサイトについては楽天グループ=西友に一日の長があるようだ。

品揃え

ネット上には、“ネットスーパーは品数が少ない”という書き込みがあったりするが、自分的には、西友、イオン共に、品ぞろえは十分、というか、むしろ多すぎると感じるほどだ。たとえば、 試しに“チョコレート”で検索すると、イオンは303件、西友に至っては442件ヒットしたが、その中から自分の“お目当て”の品物を見つけようとすると、結構な時間がかかる。特にイオンのウェブサイトでは、配達日時を選択してから1時間以内に注文を完了する決まりになっていて、30分経過すると、ご親切にも「残り30分です」というアラームが出る。(西友にも制限時間があったのかもしれないが、約半年使用した中では、そのようなアラームが出たことはなかったし、制限時間があることを意識させられたことはなかった。)この“制限時間”問題は、レスポンスとも関係するが、実はもっと深刻な事態に遭遇する可能性もある。それは、後ほど。

価格

これについては、同じ品物を同じタイミングで比較したわけではないので、正確なところはわからないが、ガッツフィーリングでは、大きな違いはないように思う。ただ、西友は、自社ブランドに“みなさまのお墨付き”というのがあり、ウェブ上でも、それをかなり強めに“推して”くる。ちょっと前にテレビの情報番組でも取り上げられていたが、クオリティはなかなか高く、値段的にはかなりのお得感がある。自分も“みなさまのお墨付き”シリーズから品物を選択することが多い。イオンにも自社ブランドはあるが、西友ほどには力が入っていない雰囲気だ。結果、西友の方がやや安めということになろうか。

さらに両社には決定的な違いがある。送料だ。西友は五千五百円以上買い物をすれば、送料無料だが、イオンはどれだけ買っても一回330円(税込)。たかが330円と思われる方もあろうが、3回使えば千円弱。馬鹿にできない金額だ。しかも、自分の場合、まとめ買いがほとんどなので、購入金額は、ほぼ間違いなく五千円を超える。私のような使い方では、西友の方がお得と言えるだろう。

支払い

どちらのネットスーパーでもクレジットカードで支払った。使えるカードに特に制約はないようだ。(だが、これには“落とし穴”があった。それは後で説明する。)

実は、イオンの実店舗で買い物をするときは、いつもイオングループ電子マネーの“WAON”で支払っていて、ネットスーパーでもWAONで支払いたかったのだが、使うことはできなかった。正確に言うと、使えないことはないのだが、その場合は“玄関先WAON”を選択するしかない。要は、配達員が来たら、玄関先に出て、端末にタッチしろと言うのだ。このシステム、“このご時世に、どうなのよ?”と思うのは私だけではないだろう。コロナ禍で、できるだけ他の人との接触機会を減らすために、わざわざネットスーパーを使っているのだ。それを、自社の電子マネーを使うために、玄関先まで出て配達員とコンタクトしろというのは…。システム上、何か制約があるのかもしれないが、正直、“イケてなさ”を感じざるを得ない。

 

さて、比較はこれくらいにして、イオンのネットスーパーでの買い物の話の続きに戻る。ウェブ上で商品を選択後、支払い画面に移り、必要事項を入力すれば、あとは“注文”ボタンをクリックすれば完了である。ところが、ここでトラブルが起こった。どうしたわけか、注文ボタンを押すことができないのだ。何回クリックしても、注文確定にならない。最初の三回くらいは、何が起こったか、全くわからなかった。四回目くらいで、ようやく画面の上部に小さな赤字で“支払方法を選択して下さい”とアラームが出ていることに気が付いた。しかし、支払い方法はクレジットカード払いのところのラジオボタンがしっかり黒く反転している。(支払い方法はちゃんと選択してるだろ、このスカタン!!)と半ば切れそうになったところで、様子がおかしいことに気付いたカミさんが画面を見て一言。「“オーナーズカードをつかう”というのは何?」。

以前、素人投資家が憂う日銀のETF購入で、NISAが始まって以降、株を買っていると話したが、イオン株もその中に入っていた。イオンの株主優待は、買い物をした際に“オーナーズカード”を提示すれば、後日5%のキャッシュバックが得られるというのがウリだ。イオンのネットスーパーのサイトでも、オーナーズカードの番号を登録する画面があり、自分も番号を入力していた。注文画面では、当然“オーナーズカードをつかう”を選択していたのだが、カミさんは、それを外してみろという。(そんなことは関係なかろう)と思いつつも、大人しく“指示”通りに“オーナーズカードをつかわない”を選択すると、あら不思議。無事、注文を完了できたのだった。

ちなみに、配達日時選択以降のタイムリミット1時間のうち、残されていたのはわずか10分ほど。それはそうだろう、注文確定できずにあれやこれや試すのに20分近くはかかってしまった。全く時間の無駄である。

注文確定後に、原因をネットで調べてみると、衝撃の事実が判明した。なんと、キャッシュバックの株主優待の恩恵を受けられるクレジットカードは、イオンが発行しているものだけというのだ。自分が、これまでそれに気付かなかったのは、実店舗ではWAONを使っていたからだ。現金とWAONも、イオン発行のクレジットカードと同様に、株主優待が使えるらしい。しかし、ネットスーパーでは、実質イオンカード一択だ。

それにしても、自社のカード以外は、株主優待も使わせないというのは、かなりの“ちからわざ”である。ビジネスであれば、顧客が自社のサービスを使うよう誘導するのは当然アリだが、それにしても“限度”というものがある。しかも相手は株主だ。古い日本企業には、今でもたまに“顧客の利便性より、自社の思惑が勝る”商売を見かけることがあるが、これも、その類(たぐい)と言えそうだ。そもそもウェブ上のアラートが、“オーナーズカードはイオンのクレジットカード以外使えません”ではなく、“支払方法を選択して下さい”としているあたり、“確信犯”であることを疑わせる。先の“玄関先WAON”もそうだが、イオンには、どうにも“昔の会社”感が否めないのだ。

 

という訳で、自分の場合は、ことさらイオンのネットスーパーを使う理由は見当たらず、また、ネットスーパーで買い物をするためだけに、新たにクレジットカードを作るつもりは毛頭ない。緊急事態宣言から2週間ほど経ち、西友ネットスーパーのサイトを再訪してみると、“お届け日時”の選択も、以前ほどではないが、かなりの選択肢が“〇”のまま残っていた。イオンへの“浮気”は辞め、また、暫くの間は西友のネットスーパーを使おうと思ったのだった。

それにしてもイオンさん、最近の株価の好調は、株主としてはありがたいことですが、利用者目線を欠いたオペレーションを続けていると、そのうち西友楽天に寝首を掻かれてしまいますよ。以上、株主からの“ご注進”でした。

ネルソン・マンデラとポケトーク

今から一年ほど前、大学時代の同期数人で久しぶりに飲む機会があった。まだ、コロナの足音もはるか遠くにしか聞こえていなかった頃だ。

集った中の一人(ここでは“A”とする)は大学時代の研究室も同じで、就職した業界も同じ。自分の結婚式にも出席してもらったのだが、その後の人生は、大きく違った。最初に就職した会社を飛び出し、ベンチャー外資を転々とした自分と違い、Aは一つの会社を勤め上げ、今では国内有数の企業のボードメンバーの一人だ。

そうは言っても、元は同じ釜の飯を食った仲、特にお互い気を遣うでもなく、会えば40年前そのままの関係で馬鹿話ができる。彼も、「本当の意味で気兼ねなく、腹を割って話せるのは大学時代の仲間くらい」と言う。大企業の中を生き抜き、出世の道を上り詰めていくには、それ相応の苦労があったに違いない。

そんな彼も含めて、皆でビールのジョッキを傾けていると、なぜか話題が語学のことになった。するとAが、「もう語学もビジネスには必要なくなるだろうな。」と言う。(おいおい、Aともあろうものが、それは違うぞ。)と思いながらも黙って聞いていると、彼が言うには、AIの急速な発達を考えれば、機械による同時通訳も、そう遠くない時期に一般化するというのだ。

 

う~ん、確かにそう言われてみれば、そうかもしれない。明石家さんまがコマーシャルに出ていた「ポケトーク」は、なんと82言語に対応しているという。どういうアルゴリズムをつかっているのか詳しいことは知らないが、製品紹介のウェブサイトには「夢のAI通訳機」という謳い文句も踊っているから、何かしらAI絡みなのだろう。因みに公式サイトでのお値段はエントリーモデルで19,800円。Amazonで紹介されている高機能版も3万円弱だ。

大枚叩いて英会話教室に通っても、英語が上達したと実感できるようになるには、それ相応の時間もかかる。“ペラペラ”レベルに到達するのは、はるか先だ。イチキュッパで「夢のAI通訳機」が手に入るご時世なら、「語学はビジネスに不要」という考えも“アリ”と言えるだろう。

一方、ポケトークに懸念がないわけではない。実は、数年前、カミさんと都心の鉄板焼きのレストランで食事をしていた時のこと。テーブルごとに料理人がつき、目の前で調理してくれる、よくあるタイプの鉄板焼屋だったのだが、隣のテーブルで、ドイツ人カップルと思しき客が、ポケトークで“悪戦苦闘”しているのを目撃したことがあるのだ。

82言語に対応しているのだからドイツ語なんてお手の物、と思うのだが、カップルのうち、男性の方が、ポケトークで日本人シェフの説明をドイツ語に翻訳しようとしても、どうにも上手くいかない。隣で聞いているこちらが、ハラハラするほどなのだ。流石のポケトークも、料理の“ニュアンス”の表現までは、まだ手が届いていなかったようだ。では結局どうしたか。ドイツ人の客とシェフがどちらも英語を話し始めたのだ。シェフは英語に堪能という風でもなかったが、都心というレストランの場所柄、英語での料理の説明を迫られることも少なくなかったのだろう。隣で聞いていても英語でそつなく料理を説明している。客の方も“最初から英語で話せばよかった”と満足な様子だ。(来日するようなドイツ人であれば、まあ、英語も普通に話すだろう。)

それからしばらく経っているので、ポケトークも随分進化しているかもしれないが、やはり機械翻訳には限界がある気がする。近いうち、翻訳のレベルは各段に進化し、鉄板焼屋で困ることはなくなるかもしれないが、人と人のコミュニケーションの中で、言葉が果たす役割には、翻訳される“意味”以上のものがあるのではないか。

 

話は少しずれるが、自分の語学のスキルアップは、もう随分前からネットに頼り切っている。中でもBBCが提供しているBBC Learning Englishは“英会話教室いらず”と言っていいほど充実している。先ほど“大枚叩いて英会話教室に通っても…”と書いたが、実は自分は自腹で英会話教室に通ったことはない。それでも、ここ数年は、海外出張の際は、一人きりで移動、現地に行っても日本人は自分一人だけ、というケースがほとんどで、それでも何とかなっているのは、BBC Learning Englishのおかげと言っても過言ではない。

そんなBBC Learning Englishが最近6 Minute Englishというシリーズにアップロードしたトピックに、For the love of foreign languagesというのがあった。その中で、こんなセンテンスが紹介されていた。

"If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head. If you talk to him in his language, that goes to his heart."

言葉の主は、南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ。ポケトークがどれほど上手に翻訳できたとしても、それが“心”に届くことはないのではなかろうか…。

 

Aくらい偉くなれば、海外出張の際にも“お供”が付き、外国人との会話も同行した社員が通訳してくれるに違いない。そうであれば、確かに「語学は不要」かもしれないが、“自助”に頼るしかない自分には、まだ暫くBBC Learning Englishにお世話になる状況が続きそうだ。

クラシックコンサートとSNS

以前、5G対応ガラホはかなわぬ夢かで、自分が今もガラホを使い続けているとお話した。“自分の携帯の使い方では、通話、キャリアメール、ショートメールがあれば事足りる”と説明したが、要はSNSとも縁遠いということだ。FacebookもLINEも使っていない。実は手持ちのガラホにはLINEのアプリはデフォルトでインストールされていて、使おうと思えば使えないこともないのだが(一応アカウントも持っている)、そもそもLINEでの"pushy"なコミュニケーションの在り様が自分向きとは思えないこともあり、「スマホを持っていない」ということが、LINEをやらない口実にもなっている。

そんななかで、唯一使っているSNSツイッターなのだが、使い始めた理由は“災害時に繋がりやすい”ということだった。2011年の震災時、電話はおろか、電子メール(久しぶりにこの単語を使った気がする)や携帯のキャリアメールも、軒並み連絡不能になった。そんな中、SNSは比較的つながりやすかったという話を後で聞いて、(それなら念のために入れておくか)ということで、始めたのがツイッターだったのだ。

しかし、使い始めたのがそんな理由だから、フォローしているアカウントも限られている(“緊急時の連絡”ということであれば、最低限、家族のアカウントがわかっていれば用が足りる)のだが、そんな数少ないアカウントの中に、新日本フィルハーモニーのアカウントがある。

 

オーケストラのアカウントをフォローして、どんなメリットがあるのか、といぶかる方もいそうだが、コンサート情報等をタイムリーに発信してくれるので、結構重宝している。実は昨年末に、その重要性を認識させられる出来事があった。

新日フィルは、例年大晦日の晩にジルベスターコンサートを開催している。昨年もコロナ禍のなか、対策を取ったうえで開催されることがアナウンスされていた。自分は年末年始は寝正月を決め込んでいる方なので、これまでこのジルベスターコンサートに足を運んだことはないが、楽しみしていた方も多かっただろう。それが、開催三日前の12月28日に、指揮者の宮川彬良氏を含め、出演予定者数人のコロナ感染が明らかになり、結果、コンサートは中止を余儀なくされたのだった。

既に述べた通り、自分はコンサートに出向く予定もなく、当然チケットも持っていなかったのだが、この“公演中止”の情報をツイッターで見たとき、(この情報を得られず、三日後の当日に、コンサートホールまで出かけてしまう客が結構いるのではないか)と思ったのだった。そもそも、クラシックコンサートのオーディエンスというのは、それなりに年齢層が高そうに思える。実際クラシックのコンサート会場に行っても、アラ還の自分より年上と思われる方々が多い。そんな年齢層の皆さんが、ツイッターで発信された公演中止の案内をタイムリーに見ているとは、想像し難い。もちろん主催者側はツイッター以外のSNSや、さらにはSNS以外のチャンネルを通してチケット購入者全員への周知を試みたに違いないが、現実問題としては、わずか2~3日で、すべてのチケット購入者にアクセスするのは難しかったのではなかろうか。主催者側は大変なご苦労だったことは想像に難くない。

 

話は変わるが、昨今は、住民への連絡や生活情報の提供について、SNSを活用している地方自治体も多い。その一方で、それまで用いられていた紙媒体等の情報提供については、“合理化”の名のもとに、発行頻度の減少や体裁の簡素化が進み、さらにはSNSを通してでしかアクセスできない情報すら出てきている状況だ。そんな“情報の電子化”の流れの中では、SNSの使い方も含め、ITリテラシーの不足は、それこそ“命取り”になりかねない。

SNSの活用は、勿論良いことだし、推進すべきことだと思うが、それと同時に、そのような世の中の進歩に乗り切れていない世代に馴染みのある情報チャンネルについても、継続的な改善と存続への配慮をお願いしたいものだ。

睡眠薬混入事故と東海村臨界事故

水虫治療薬に睡眠導入剤の成分が混入した問題、昨年12月11日の発覚後、様々な報道がなされているが、その原因については、未だに納得できる説明が聞かれない。直近の報道では、有効成分の容器と、混入した成分の容器が、同じ棚の上下に並べて置かれていたとのことだが、果たしてそれが実際に作業した社員の問題なのかどうか、現時点では自分にはわからない。というのは、もしその“置き方”が、会社で定められていたのなら、社員はそれに従っただけだからだ。

医薬品の製造においては、事細かに“SOP”が定められているはずだ。SOPとは、Standard Operating Procedures、すなわち“標準作業手順”のこと。有効成分の取り扱いについては、その容器の種類、置き場所、さらに置き方まで細かく定められているはずだ。普通に考えて、製薬会社の工場に勤務する人間が、自らの“独断”でSOPに外れた手順を取るとは考えにくい。昨日の報道では、会社側が、それぞれの有効成分が入っていた容器は「大きさや形が全く異なって」おり、「一般的な感覚では間違えないレベル」と説明しているそうだが、この説明を聞いても、「一般的な感覚では間違えないレベルの大きさ・形の違いなので、同じ棚に並べておいても問題ない」と考え、その結果、SOPには「同じ棚に置く」と記載されていたのではないか。あくまで自分の想像だが、そんなふうにも思える。

一方、「関係者は『ヒューマンエラーを起こしやすい状態だった』と危険性を指摘している」とのことだが、医薬関係者でなくても、「効果も、作用の強さも全く違う成分を並べて置くのはどうなのよ?」というのが、まあ普通の感覚だろう。しかし、製造工場のような“閉じた”世界の中では、“普通”の感覚から、時にずれていくことがあるのは、何も医薬品業界に限ったことではない。しかし、そんな“ズレ”は、医薬品製造においては、起きてはならない事故に直結しかねない。今回は、まさしくそのような事例なわけだが、一方、そんなずれを“検知”する仕組みも当然あるわけで、今回、どうして、その“仕組み”が機能しなかったのかについての検証も必要だろう。

例えば、社内監査部門は、SOPの作成に対して、どのような役割を果たしていたのか、或いは社内監査部門による現場のチェック・訪問は、どのような頻度、内容だったのか。

さらに言えば、行政の関わりについても検証が必要だろう。医薬品の製造所には定期的に行政当局の査察が入っていたはずだ。その時、当該SOPは査察の対象だったのか、なかったのか、もし、対象であったなら、それに対してどのような指摘・指導をしたのか、或いはしなかったのか、さらに査察全体を通して、当該事業所に対する評価はどのようなものだったのか。万が一、査察の結果が「問題なし」、「優良事業所」の類であったとしたら、そんな「ザル」査察がまかり通ってしまった理由も詳らかにすべきだろう。

 

少し前の報道の中には、厚生労働省が「社風や経営層の姿勢が根底にある」と宣ったともある。その理由は「事案発生以降、経営層が誰も現場を確認していない」ことらしい。まあ、経営陣が現場を確認すれは、なおよかったとは思うが、会社組織のなかで、どのレイヤー(階層)の人間が現場を確認するかは、当該事案についての知識レベルも考慮されるべきだろう。例えば、東日本大震災の際、時の首相は福島第一原発に直接出かけたがったらしいが、それがどれほど実効力があることなのか、当時も疑問に思ったものだ。社長が現場を見に行かないから「社風が原因」と決めつけるのも如何なものか。どうも、今回の事故を「特定の会社の、イレギュラーな問題」として片付けようとしている意思を感じてしまうのだが、根はもっと深いところにあるような気がしてならない。

 

そんなことを感じながら、ふと思い出したのは、東海村臨界事故だ。発生したのは1999年9月30日というから、もう20年以上前のことだ。JCO東海事業所の核燃料加工施設内で、核燃料を加工中にウラン溶液が臨界に達し核分裂連鎖反応が起き、作業員2名が死亡、1名が重症となった。原因は、硝酸ウラニル溶液を、沈殿槽にステンレスバケツで流し込んでいたから。この“バケツ”での作業については、当時もずさんな作業工程管理の証左として、繰り返し報道されていたものだ。

しかし、その後、事故の検証が進むにつれ、実態は随分と違ったものだったことが明らかになる。「浪費なき成長」(内橋克人著)には、次のような記述がある。

「あの事故はそもそも、まじめな努力家たちが、いかに作業を効率的に行うか、いかに作業効率を上げて、合理化に貢献するか、企業に貢献するかということに、知恵を絞り、貯塔を利用する代わりに、ステンレスバケツを使って直接、沈殿槽に溶液を入れる、という提案をし、採用されたというのが真相です。」

そして、この事故の根本原因は、行き過ぎた、かつ間違った方向での「効率追求」にあったと結論付けている。

 

今回の混入事故を起こした小林化工は、日本ジェネリック製薬協会(GE薬協)の会員会社だ。 近頃は、“ジェネリック”という言葉も、だいぶ市民権を得てきたが、日本語では“後発(医薬)品”、医療費削減の切り札として、国もその普及と使用率の向上の為に様々な施策を講じてきた。その結果、昨年12月の厚生労働省の発表によれば、2020年9月時点でのジェネリックの使用率は78.3%だったとのこと。政府目標の80%に届かなかったが、かなりの使用率だ。先発(医薬)品との価格差を考えれば、この“ジェネリック推進” の方向性は今後も続くだろうし、間違ってもいないと思う。一方、そもそもの出発点が“医療費削減”であることから考えれば、ジェネリック市場全体が熾烈な“コスト削減”競争に晒されていることは容易に想像できる。

GE薬協のホームページを見ると、 “効率”という文字が幾度となく出てくるが、それが“行き過ぎた、かつ間違った方向”でないことを心より願う。