アラ還オヤジの備忘録

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ロックダウンと「リーダーシップ」


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旭川は好きな街の一つだ。若いころは仕事の関係でかなりの頻度で訪れた。当時のお気に入りの航空会社は日本エアシステム。とにかく空いているのがよかった。旭川空港からはバスで市街へ向かう。途中、旭川医大の横を通って、右折した後、坂を下り、橋を渡れば、終点のJR旭川駅前は、もうすぐだ。

 

旭川の事業所長には、随分と良くしてもらった。年齢は自分より一回り位上か。郷里が同じということもあったと思うが、面倒見の良い人だった。仕事が終われば、ほとんど例外なく、飲みに連れて行ってくれた。地元のうまい店で腹いっぱいになった後は、二件目に向かう。宿泊するホテルも、大抵繁華街の近隣に取ったので、“帰りの足”に心配がない。ついつい深酒をし、翌日は酷い二日酔いということも珍しくなかった。そんなわけで、北海道での“夜の街”というと、自分の中では、札幌ススキノよりは、旭川の思い出のほうがはるかに深い。もちろん、札幌に出張する機会も少なくなく、ススキノにもそれなりにお世話になったのだが、旭川の比ではなかった。

 

そんな旭川が、今、医療崩壊の危機に瀕しているという。北海道でコロナ感染拡大が進む中、札幌ススキノについては、飲食店の時短や休業の話をテレビのニュースでよく見聞きするが、旭川は実際どうだったのか。記憶に残る歓楽街の様子や雰囲気からすれば、かなり強力な対策を講じなければ、あっという間に感染が拡大しそうだ。自衛隊に看護官派遣を要請したとのことだが、その時点ですでに十分“非常事態”なのではなかろうか。直ちに“ロックダウン”したとして、それに反対する市民がいるのだろうか。

 

“ロックダウン”というと、どうしても休業した飲食店への補償をどうするのかという話になる。自粛“要請”ですら、あれだけ逡巡する首長たちだから、“ロックダウン”などといったら、とても判断が出来そうもない。しかし、新型コロナウイルスの、感染から診断、発症、そして治癒のタイムラインを考えてみると、たとえば3週間完全にロックダウンし、違反者には台湾のように罰金を科して、ロックダウンが100%遂行されるようにすれば、3週間後には、飲食店も、時短等もない“フルスペック”の営業再開が可能なのではないか。中途半端な“お願い”を繰り返し、国民に“善意”の行動変容を求めるばかりで、いつまで経っても“出口”が見えない状況が続くより、「3週間、完全にロックダウンします。しかし、3週間後には、必ずフルスペックで経済活動を再開させるので、その間は、どうか我慢して下さい。」と言った方が、飲食店の経営者達も、よほど将来に希望が持てるのではなかろうか。

 

首長たちは判断できない、言ったが、彼らだけを責めるのは酷というものだろう。ロックダウンに伴う“痛み”や、それを実行するのに必要な経費の予算規模から考えれば、国が判断すべきなのは明白だ。一方、首相、担当大臣や官房長官の発言を聞くと、“下手なことを言って、言質を取られたくない”と思惑が見え透いている。この“リーダーシップ”の欠如は、どうにかならないものだろうか。そんなことを、つらつら考えたとき、思い出されたのは、またしても、トム・デマルコの「ゆとりの法則」(原題:Slack、訳:伊豆原弓)の中の一節だ。

デマルコによると、リーダーシップには、5つの要素が必要という。一番目の要素は「方向性を明示する」。しかし、残念なことに、「リーダー」からは、この1番目の要素だけが示されることが多い。デマルコはこれを、偽りの「リーダーシップ」という。真のリーダーシップには、そのあとに続く、2番目から5番目の要素を示すことが必須だ。2番目は「短期的には痛みがともなうことを素直に認める」。それでは、3番目から5番目は何か。

3番目は、

フォローアップする。

4番目は、

フォローアップする。

そして、5番目も、

フォローアップする。

 

デマルコは、本書のなかで、偽りの「リーダーシップ」の例として、ジョージ・ブッシュ大統領の、全米教育サミット(1989年9月開催)での「アメリカの若者が2000年までに理科と数学でトップになる」という“宣言”を引き合いに出している(その後も“成績不良”は変わらなかった。のちにブッシュ大統領は、「意思はあるが、財力はない」と語ったという)。しかし、“勝負の3週間”宣言に比べれば、国民が被る損害の何とささやかなことか。

 

今から二か月半ほど前、合流新党と原子力研究で、「日本の新しいトップに対して、国内はもとより、外交においても活躍してほしいと期待するのは、日本人として当然のことだろう。」と書いた。しかし、残念ながら “期待はずれ”だったのは、世論調査での支持率急落が示す通りだ。もし政府与党に自浄作用があるのであれば、直ちにトップを変える手立てを考えるべきではないか。随分前のことだが、ある外資系企業の社長就任披露パーティーに呼ばれたことがあった。非常に盛大な会で、会場は確か帝国ホテルだった。来賓の中には、安倍元首相もいたように思う(もしかしたら記憶違いかもしれないが)。そんな大々的な“お披露目”をしたにもかかわらず、件の社長はその3ヶ月後には、その会社を去っていた。企業(外資系は特に)であれば、そのアサインメントが“間違い”とわかれば躊躇なく更迭に舵を切る。そうしなければ、企業の存続にかかわることがわかっているからだ。だったら国家はどうなのか?コロナが落ち着いたら、海外移住先を真剣に考えるか、などと思ったりする今日この頃だ。