アラ還オヤジの備忘録

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アビガン承認見送りとローレンス・クラインの“悪徳”


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先週は、新型コロナの感染急拡大(爆発?)や「桜を見る会」を巡る安倍晋三前総理秘書の略式起訴と本人の衆参両院議院運営委員会に出席等、いろいろなニュースがあったが、自分の中で一番刺さったのは、「アビガン承認見送り」だ。

厚生労働省は12月21日、ファビピラビル(商品名アビガン)の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療薬としての薬事承認を見送ったとのこと。一体何があったのか?

アビガンと言えば、そもそも前首相が在任中に記者会見で「5月中に承認」などと言っていたのが、その後のすったもんだで、最終的に製造元の富士フイルム富山化学が効能・効果追加申請したのが10月16日。それが二か月以上経って、承認“見送り”とは。

 

報道によると、アビガンの有効性・安全性を審査した薬事・食品衛生審議会医薬品第二部会で、試験デザインが「単盲検比較試験」だったことが問題にされたとのこと。しかし、富士フイルム側のコメントによれば、試験計画は「PMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)の合意を得ていた」という。もし、それが本当であれば、一体何の為の合意だったのか?因みにこのPMDA、ただで相談に乗ってくれるわけではない。PMDAのウェブサイトによると、医薬品申請前相談(希少疾病用医薬品以外)は、一相談当たり9,497,400円。ほぼほぼ一千万円だ(希少疾病用医薬品は7,130,100円。因みに“希少疾病”とは、国内の患者数が五万人以下の疾患のこと)。アビガンでの“PMDAの合意”が、どのような経緯で得られたのか報道には記載がないが、相談料をたんまり取られたうえでの“手のひら返し”であれば目も当てられない。自分は富士フイルムには縁も所縁もないが、心からの同情を禁じ得ない。

 

そもそも、その薬がヒトの役に立つか否かを、どうやって判断すべきなのか。教科書的には“二重盲検”比較試験で“統計的有意性”が証明される必要がある。今回の審議会の結論も、そういう判断基準によるものと言われれば、富士フィルムとしては反論が難しかろう。しかし、そのような“教科書”的な判断基準に合致する試験計画を、いつも組めるわけではない。“二重盲検”ということは、医者も患者も、飲んでいる薬が“本物”か“偽物”か、わからないということだ。いわゆる生活習慣病のようなものならまだしも、生死を分けるような疾患で、自分の飲んでいる薬が“偽物”かもしれないという状況を想像してほしい。これは「単盲検」の状況だ。そんな治験への参加に同意された患者さん達には頭が下がる思いだ。しかし、その状態からさらに、薬を投与している医者も“本物”か“偽物”か、わからないとしたらどうか。私なら、今の新型コロナ感染状況の中では、同意書にサインすることは到底できない。

 “統計的有意性”を証明するためには、薬の“パワー”に応じた症例数が必要だ。生活習慣病をたびたび引き合いに出して申し訳ないが、そのような患者数の多い疾患であれば問題ないが、新型コロナのような疾患では、かなりの制約があることは容易に想像できる。そんな中、“統計的有意性”を示すことができる症例数を得るために、試験デザインを「二重盲検」でなく「単盲検」にしたとして、それを責めることができるのだろうか。

 

一方、この“統計的有意性”が“金科玉条”化していることについても問題がある。こんなことを言うと、“素人が何を言っているのか”と統計学者たちから冷笑されそうだが、実はこの指摘は私によるものでない。ディアドラ・N. マクロスキーは、その著書「ノーベル賞経済学者の大罪」(原題:The Vices of Economists-The Virtues of the Bourgeoisie、赤羽隆夫訳)の中で次のように述べている。

「ある点で、私たちは機械的な統計処理から離れ、『その何が重要なの?』という常識から発する疑問を問い掛けるべきである。」

「重要な点はどれだけ大きい効果がえられるかである。効果の大きさはどれほど人間に役立つかによって判断されるのであり、決して恣意的に定義された『統計学的有意性』によって判断されるものではない。」

 

さらにマクロスキーは、「統計的有意性」(statistical significance)を「科学的重要性」(scientific significance)と同一視(混同)したとして、これをローレンス・クラインの「悪徳」と表現している。ローレンス・クラインといえば、第12回目のノーベル経済学賞受賞者だ。このように書くと、「マクロスキーの主張は、経済学についてであって、医学に対してではないだろう」と思われるかもしれないが、さにあらず。マクロスキーは「悪徳」の事例として、医学に関するエピソードを、これでもかというほど紹介している。まるで、経済学批判の体を取りながら、実は医学に対する批判が目的では、と勘繰りたくなるほどだ。

蛇足になるが、本書のなかでマクロスキーは、統計学の専門書からの引用として、こんな指摘もしている。

「標本規模が十分に大きくなれば、すべての回帰曲線は有意になる。」

結局、どれだけ患者数を集められるかどうかで、医薬品開発の成否が定まるということか。

 

マクロスキーの主張が、所謂「主流派」でないことは明白だ。しかし、新型コロナの感染が急拡大する中で、統計学的に“理想的”な条件を満たしていないという理由だけでアビガンの承認を見送るというのは、まさに「どれほど人間に役立つか」という視点が欠落した“悪徳”の結果と感じるのは、私だけだろうか。