アラ還オヤジの備忘録

雑感や、その他諸々。

2008年のこと


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再就職しましたで、「精神的にも経済的にも“切羽詰まった”こともあった」と書いた。

13年前の2008年、その年は、まさにそんな状況だった。

その年の9月、父親が他界した。癌を患っていたのは数年前にわかっていたのだが、死の一ヶ月前に容態が急変し、最後はあっけなくこの世を去った。不幸中の幸いと言えるのは、容態急変の2週間ほど前に父も交えて家族で二泊三日の温泉旅行に出かけられたことだった。息子(私の父にとっては孫)も一緒で、最後によい思い出が作れたと思う。しかし、私には、その旅行を心から楽しむことはできなかった。なぜなら、私はその時、職を失っていたのだ。

失業していたことは、父はおろか、家内にも打ち明けていなかった。何しろその時期は、新居を建てたばかり、ある程度まとまった額を頭金で支払っていたものの、それでも毎月のローン返済額は20万円を超えていた。そんな状態で、収入が途絶えたとは、さすがに言い出せなかった。朝は普通通りに家を出て、やることは“職探し”である。複数のエージェントに連絡し、何か“オポチュニティ”があれば教えてほしいとお願いした。できれば、早く次の職を見つけ、家内には、そのあとに“真相”を伝えたいと考えた。しかし、世の中はそんなに甘くない。今、アラ還の自分は、13年前は“アラフィフ”である。そんな年齢で新しい職を見つけることは容易なことではない。さらに言えば、2008年は、あの“リーマンショック”が起きた年である。

職を失ったことを家内が感付いたのは、父の葬儀の時である。私には、弟が一人いるが、父の告別式には、弟の勤務する会社からは弔電や、花輪が届き、彼の同僚たちが参列した。しかし、無職の私には、弔電を送ってくれる会社はなく、葬儀に参列してくれる同僚を望むべくもなかった。家内もさすがにこれはおかしいと思ったのだろう。問い詰められた私は素直に事実を白状するしかなかった。 

それからは就職活動に明け暮れる毎日だった。11月のある日、家内が「ディズニーランドに行こう」と言い出した。何か気晴らしでもしないと“やっていられない”状況だった。建てたばかりの新居の“差し押さえ”も現実的な問題として頭をよぎっていた。毎晩なかなか寝付けず、一旦眠りに落ちても午前3時には必ず目が覚めた。彼女も表には出さないが、似たようなものだったのだろう。しかし、家族三人でディズニーランドに行っても、心は晴れなかった。アトラクションを待っている間に携帯電話が鳴った。エージェントからだった。しかし、それはもう聞き慣れてしまった“不採用”の連絡だった。

そんな“どん底状態”の中、ある知り合いが電話をくれた。食事の誘いだった。そこで引き合わせたい人がいるという。こちらが求職中なのは、その知り合いも百も承知だ。転職に直接結び付くかどうかはわからなかったが、何かプラスにはなるだろうと思い、出かけることにした。

食事では他愛もない話をした。そもそも、その“引き合わせたい”人は、私がそれまで働いていたのとは異なる業界の人だった。それでも別れ際、念のためCV(curriculum vitae、いわゆる職務経歴書のこと)をメールで送ってくれ、と言われた。こちらが求職中であることを慮ってのサービストークに違いない、そう思ったが、そんな彼の心遣いがうれしかった。

それから一ヶ月ほど経った頃だろうか、状況は好転するどころか、悪化の一途を辿る中、件の知り合いから、また連絡が入った。例の“引き合わせてくれた人”が、もう一度会いたいらしいと言う。彼に直接連絡を入れると、こういう話だった。私がメールで送ったCVを彼が印刷し、たまたま机の上に置いていた。それを彼の上司が見つけ、興味を持ったというのだ。彼の上司は外国人で月イチペースで来日しており、次回の来日時に会いたいという。

朝八時と時間を指定され、外国人上司が宿泊している都内のホテルで一緒に朝食を取りながら話をすることとなった。彼と外国人上司、そして私の3人で一時間ほど話をした。話が終わり、別れ際に外国人は、私に自分の名刺を手渡した。そのまま部屋に戻っていく後ろ姿を見送りながら、彼は私にこう言った。「君は採用だ。あの外国人は自分の眼鏡にかなった人物にしか、自分の名刺を手渡さない。」

そうして、私は、その会社に、9か月間という冗談みたいに長い試用期間を条件に入社することになった。何しろこちらは、その業界は全くの未経験である。先方も“保険”をかけるのは当然だ。喜んでその条件を受け入れた。入社は、12月の最終週だった。“できるだけ早く”という先方の都合ではあったが、私にとっても、入社は早ければ早いほど有難かった。「これで年が越せる」。偽らざる心境だった。そういえば、家内にクリスマスプレゼントを買うことすらできないでいた。しかし、手元には、そんなプレゼントを買う金などあるわけがない。ひねり出した“苦肉の策”は、それまでほったらかしにしていたクレジットカードのポイントを商品券に変えることだった。クレジットカード会社のウェブサイトでポイント交換する際に、“寄付”の項目があるのに気付いた。(ポイントで寄付ができるのか…。)その時、私は自分の幸運を、誰かに感謝したい気持ちだった。いくつか選択肢のある寄付先の中からユニセフを選んだ。

その後、毎年年末になると、欠かさず“ポイント”でユニセフに寄付を続けている。途中、クレジットカード会社を変えたところ、新しいカード会社のポイントではユニセフには募金できないというハプニングがあったが、それ以降は、カードのポイントの代わりに、その年にたまったTポイント全部をユニセフに寄付することにしている。“現金で寄付すればいいだろ” というツッコミも当然あろうが、しないよりはした方がいいに違いないと自己弁護しつつ、今後も続けていこうと思っている。