アラ還オヤジの備忘録

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国際女性デーと紫色(そして日本の政治を思う)


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一昨日、3月8日は国際女性デー。さて、”国際女性デー”とは何か。こういうザクッとした質問に対して、マルっとした答えを知りたいときは、最近は、大抵、BingAIのお世話になっている。早速聞いてみると、いつになく長文の答えが返ってきた。

国際女性デーは、毎年3月8日に祝われる日で、女性の社会参加と地位向上を訴えるために制定されています。この日は、女性の権利やジェンダー平等に関する啓発活動や統一行動が行われます。

その起源は諸説ありますが、1904年3月8日にアメリカの女性労働者が婦人参政権を求めて起こしたデモがきっかけだと言われています。この動きは世界中に広がり、1975年に国連は「女性の社会参加と地位向上を訴える日」とともに「女性の素晴らしい活躍と、勇気ある行動を称える日」として毎年3月8日を国際デーに定めました。

イタリアではこの日を「ミモザの日」とも呼び、男性が女性に感謝の意を込めてミモザの花を贈る習慣があります。ミモザは黄色くて小ぶりな花で、春を象徴する色とされ、幸せの象徴とされています。

世界中でさまざまな取り組みやイベントが行われており、企業や団体も関連する広告やイベントを展開しています。この日を通じて、女性の社会的地位向上とジェンダー平等に向けた意識を高めることが目的です。

「世界中でさまざまな取り組みやイベントが行われており、企業や団体も関連する広告やイベントを展開しています」というわけで、自分が勤める会社でもちょっとしたイベントをやるとのこと。実はその際に会社から言われたのは、「何か紫色のものを身につけて来てください」。(“紫色”が国際女性デーのテーマカラーなのか?)などと思いながらも、深く考えずに紫色のネクタイをつけて参加したのだが、BingAIの答えは、長い割には“紫色”には触れていない。
そこで、「国際女性デーのテーマカラーはなんですか?」と再びBingAIに尋ねて
返ってきた答えは、意外にも以下のような内容だった。

国際女性デーのテーマカラーは、ミモザカラーです。この日は女性の社会参加と地位向上を訴えるために制定されており、イタリアでは男性が女性に感謝の意を込めてミモザの花を贈る習慣があります。ミモザは黄色くて小ぶりな花で、春を象徴する色とされ、幸せの象徴とされています。この明るく温かい色が、国際女性デーのシンボルカラーとなっています。

なんと、国際女性デーのテーマカラーは、紫ではなく、まさかの黄色!?だったら会社が言っていた“紫”って、一体何なのよ?すかさずBing AIに「国際女性デーと紫色は関係がありますか?」と尋ねてみる。

紫色は別の文脈で女性の権利やジェンダー平等を象徴する色として使われることもあります。紫色は歴史的に、女性参政権運動やフェミニズムのシンボルとされてきました。たとえば、アメリカの女性参政権運動家たちは紫色の服を着てデモ行進を行い、ジェンダー平等を求めました。

したがって、紫色は女性の権利や平等に関連する色として広く認識されていますが、国際女性デーの公式なテーマカラーはミモザカラーであることを覚えておいてください。

なるほど、そういうことですか。ハイ、覚えておきます。

うちの会社に限らずいわゆるグローバル企業であれば、この日に何らかのイベントをやるのは一般的なようで、LinkedInにも「弊社ではこんなイベントやりました」的な投稿が溢れていた。

一方、そんな「女性の社会参加と地位向上を訴えるために制定」され、「女性の権利やジェンダー平等に関する啓発活動や統一行動が行われる」日に、世の中をびっくり仰天させたのが、自民党「青年局近畿ブロック会議」懇親会の話。
すでに、色んな人が色んなところでコメントしているので、一般peopleの自分がとやかく言うつもりもないが、まあ、呆れて空いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。そもそも“青年”局とは、どんな集まりなのか、ちょっとググってみると「45歳以下の党員」とのことで、自分より軽く二回りは下の年代だ。半分ボケ老人みたいな議員であればいざ知らず、普通のアタマがあれば、今どきの世の中の雰囲気、トレンドと、やっていいこと、悪いことの区別がつく世代だろう。因みにこの「青年局近畿ブロック会議」、今も自民党青年局のWebsiteに“青年局ニュース”として写真付きで公開されている。危機管理の観点からすると信じられないことだが、そこでは集合写真も公開されていて、人数を数えてみると40人弱、全員男性のように見える。結局「自民党」という閉ざされた“村社会”の中で、いつまで経っても昭和の価値観に基づく行動パターンと、“男社会”だけに通用する常識から抜け出せないということか。こんな前時代的な集団に国を任せるしか選択肢がないのか、そう思うと暗澹たる気持ちになるのだった。