アラ還オヤジの備忘録

雑感や、その他諸々。

Excelと、“why”の先にあるもの

今朝ほど、Yahooニュースのアクセスランキング(IT総合)を見ると、一位はExcelの話題だった。Excelで作成した書類を印刷してみると、画面に表示されてものとは違ったものが出てくるとか、まあ、“Excelあるある”だ。

現在のビジネス社会でExcelのない世界を創造するのは難しいが、今からおよそ40年前、自分が大学を卒業し、新入社員として企業に就職したときは、Excelはおろか、Windowsすらない時代だった。その頃は、まだ、ワープロ専用機が全盛で、パソコンにワープロソフトをインストールして使うというのは、そのしばらく後だったと思う。ワープロ専用機にしても、最初の頃は、タイプした文字を表示する画面が一行分(!)の大きさしかなく、その後、ブラウン管(液晶じゃありません)で全体を見ることができるようになったのは、画期的なことだった。

さて、話をExcelに戻すと、その歴史を見ると意外なことがわかる。実は、ExcelはもともとMac専用ソフトだったのだ。MicrosoftMac専用ソフトを開発するのも不思議なのだが、あの頃は“Macでしか使えないソフト”が結構あり、それらのソフトを使用したいがためにMacを使うという人も少なくなかった。

パソコンの起動音とピクサー映画で書いた通り、海外の取引先とのビジネスの関係でMacを使い始めることになった自分は、Excelを含め、それらの“Mac専用ソフト”に触れたのも早かった。何しろ、Excelはおろか、Wordですら最初はMac専用だったのだ。それ以外にも、FileMaker(データベースソフト)やらPersuasion (プレゼンテーションソフト、パワポのようなもの、というか元ネタと思う)やら、“選り取り見取り”だった。ちょっと変わったところでは、JMPというのもあった。SASが開発したMac専用の統計解析ソフトで、その秀逸さに文字通り目を奪われた。こいつには随分とお世話になったものだ。

そんなわけでExcelを使い始めたのも随分と早かったのだが、どれくらい早かったかというと、ちょうど昭和から平成に変わる頃だったと思う。昭和64年=平成元年は1989年、およそ32年前のことだ。“昭和!?”と驚かれる方もいようが、逆に考えれば、登場してから30年経っても、Excelを凌駕するコンセプトを持ったビジネスソフトが登場していないとも言える。

それにしても、最初にExcelを使い始めた頃はというと、周りのExcelに対する評価は結構厳しかった。こんな便利なものがあるなら、同じチームメンバーにも教えてやろうと、使い方をあれやこれやと説明するのだが、中には“Excelって、本当に使えないな”などと言うヤツが出てくる始末。今なら“使えないのはお前のほうだ”と言ってやれるのだが、当時はExcelの評価も定まっていないから、言い返すことが出来ず仕舞いだった。

さて、それから30年、使うパソコン(と言うかOS)はMacからWindowsに変わったが、さすがにこれくらい長期間使っていると、Excelの“癖”というか、立ち居振る舞いは大体把握できている。件の印刷問題も、確かにその通りなのだが、30年も使っていると、古い友達のようなもので、そんな“癖”もなんとなく許してしまう。

逆に、周りを見ていると、“もっと便利な使い方があるのに”と思わずにいられない場面に出くわすこともある。いつだったか、台湾オフィスの女性社員に人事関係のExcelファイルを送ると、「日付データの隣に曜日も入力して」とのこと。(そんなもん、自分でやれよ。曜日データなんて日付を使った関数で一発計算だろ)と思ったものの、感じの悪いヤツと思われるのも嫌なので、ハイハイ、とさっさと曜日を関数計算した列を追加して再送信したのだった。こんなことは初歩の初歩だが、Excelを使う上で、(こんなことができたらいいな)と思うことは、ほぼ間違いなくそのような機能が実装されているという印象だ。伊達に30年以上も生き延びているわけではないのだ。

そんなわけで、ひょんなことからMac & Excelを使い始めた自分だが、今ではMacに触れることもない、全くのWindows派だ。パソコンの起動音とピクサー映画で、「あのボンダイブルーiMacを最後に、Windowsに宗旨変えすることになるのだ」と書いたが、その理由はごく単純なこと、要は“Macでしか使えないソフトが皆Windowsでも使えるようになった”からだ。アート等の世界ではどうかわからないが、少なくとも自分が属するビジネス分野においては、“Macでしか使えないソフト” は、ほぼ現存しないと思う。であれば、敢えてAppleというブランドに対して“プレミア価格”を支払ってまでMac固執する理由はない。実際、自分の周りを見ても、同業他社でMacを使っている会社は、まず見掛けない。Macなんぞを使っていたら、逆に(なんてコスト意識の低い会社だ)と思われかねないほどだ。自宅で使うパソコンにしても、誰かに見せびらかす必要もないので、自分としてはWindowsで十分、結果、約8年前に買った富士通のノートパソコンで、今も、このブログのテキストを打っている、ということになる。

Mac/Appleと言えば、以前、Go To Eatの“Why”は何か?で、サイモン・シネックの「WHYから始めよ!」(原題:Start with Why)を紹介したことがあった。

本書の中で、著者は、Appleの成功理由として、「自分たちがそれをする“理由”からスタートしている」と説明している。確かにWhyは重要だ。しかし、その一方で「“Why”だけで顧客を繫ぎ止めておくことができるほどビジネスの世界は甘くないのでは」とも、正直思う。現に、かつては熱烈なMacユーザーだった自分も、今はMacを顧みることはない。だったら、どうすればよいのか。実は、これに対する回答と言える本がある。Scott McKainのICONIC (Forefront Books) だ。

著者は、本書の中で“DOES “WHY” MAKE YOU DIFFERENTIATED?”という章までたてて、自分はサイモン・シネックに同意しないとしている。

邦訳はないかとちょっとググってみたが、今のところ出ていないようだ。もし、邦訳の予定も立っていないのであれば、是非お願いしたいところだ。実は、昨年1月、私はL.A.で著者ご本人にお目にかかる機会があった。どちらかの出版社さん、もし、ご興味があるようでしたら、繋ぎますよ。私でよければ、翻訳も致しますので。

まん防と五分後の世界

昨日の朝刊を見ていて目に入ったのは、“「まん防」使いません”の記事。

立憲民主党の議員から「ちょっとゆるいイメージがある」と指摘され、厚生労働相も「使わないようにと思っている」とのこと。

“ゆるいイメージ”ですか…。では、イメージが“ゆるく”なかったら、そのまま使い続けたのか。そういえばその昔、“は防法”というのがあった(今もあると思うが)。こちらは“破壊活動防止法”の略だが、イメージが“ゆるくない”ためか、その略称については、特に話題になったという記憶はない。

「まん防」も「は防法」も、その言葉を口にすると、何かわかったような気にはなるが、実のところ、それが一体何なのか、正確には、というよりほとんど理解していないのは、私だけではあるまい。

こうしたことは別に政治の世界だけではない。自分が社会人になったころ、組合活動をしている先輩社員が使っていた“ベア”という言葉は、最初は皆目見当がつかなかった(この文章を読まれているかたは如何だろうか)。“ベア”とはベースアップ(base up)の略。“base up”というのが、そもそも和製英語だそうだが、基本給の昇給のことだ。知らない者にとって、ベアというその語感(熊か?)から、昇給という意味は到底思い至ることが出来ないが、使い慣れてしまった側からすれば、当たり前ということになるのだろうか。

こんなことを考えながら思い出したのは、村上龍の「五分後の世界」(幻冬舎)だ。

舞台は、1945年8月9日に長崎に原爆が投下された後も降伏せず、同月19日に小倉、26日には新潟、そして翌9月の11日には舞鶴に原爆が投下され続け、やがて人口が26万人に激減していた後も、「日本国」は連合国軍を相手にゲリラ戦を繰り広げているというパラレルワールドだ。

残された日本人は地下都市で生活しているのだが、その中で、中学生のグループと将校が会話する場面が出てくる。中学生の一人が、昨夜のCNNのニュースについて将校に質問する。それに対して、将校は「CNNとは何だね?」と言うと、中学生は自分の間違いに気付き「ケーブル・ニュース・ネットワーク」と言い直すのだ。

パラレルワールドの日本では、学校では次のように教育されていた。略称で呼ぶようになってそれに慣れてしまうと、本来の意味が失われることがある、だから、フルネームで言え、と。

 

「まん防」は、“ゆるいイメージ”だから使うべきではなく、それでは本来の意味が失われてしまうからと考える政治家はいないものなのか。小説の中では、今の日本の様子が「シミュレーションの8番」として紹介されるのだが、余りに的を射すぎていて、暗澹たる気持ちになってしまう。

それにしても、昨日の新聞記事につられて久しぶりに開いた本書だが、読み始めるとページをめくる手が止まらない。著者自身、あとがきで「今までの全ての作品の中で、最高のもの」と述べているが、本書が1994年に出版されてから27年余りたった今でも、Amazonの書評に「著者の最高傑作」というコメントが複数あがっているのも頷けるのだった。

NHKのBS放送って、必要ですか?

ウチでとっている新聞の、昨日、今日の朝刊では、NHK受信料の値下げについてフォーカスしている。自分もNHK受信料は払っているので興味はあるのだが、あまり真剣に記事を読む気にはなれない。なぜなら、予定されている値下げはBSのみで、地上波には当面値下げの予定はないと聞いていたからだ。

実はうちはBSを観ていない。以前勤めていた会社の上司に、そのことを話したら、「見れないのか…」と、半ば憐れみを帯びた眼差しを向けられた。別に経済的理由で見ないわけではない。自分の場合、テレビをリアルタイムで見ることは、ほとんどない。ニュース番組以外は、ほぼ100%、事前に録画予約したものを見ているのだが、実は、録画した番組をすべて見ているかというと、結構な割合で見ずじまいで消去してしまう。要は、録画した番組をすべて見るだけの時間的余裕がないのだ。すでに言った通り、ウチではBSは見られないから、録画するのは地上波の番組だけだ。それでも録画した番組が見切れないのだから、BSを見られるようになったところで、実際、どれだけ視聴できるかは、たかが知れている。結局、BSアンテナを立てる理由もなく、NHKの受信料を徴収する訪問員も、「あそこはBSアンテナは立ってないわね」ということで、これまでNHK BSの受信料を請求されたこともない。

「BSでしか見られない番組で、どうしても見たいと思うものはないのか」と聞かれれば、確かに幾つか見たいと思うものはある。例えば民放のBSでは、「BARレモン・ハート」とか、「ワカコ酒」とか(“飲み”関係ばかりで申し訳ない)。いずれも系列の地上波の深夜枠で再放送されていたことがあったので、何回か見たが、最近は地上波での再放送はないようだ。

では、NHKのBSはどうかというと、これと言って心惹かれるものがない、というのが本音だ。正確に言えば、心惹かれるものがないではないが、それらは地上波で再放送されることがほとんどなので、敢えてBS契約しなくても困ることはない、ということになる。

NHKの地上波の番組編成を見て思うのは、地上波の再放送のみならず、BSで放送された番組の再放送が非常に多いということだ。再放送が多いのは、実は、ゴールデンタイムに放送されるドラマ等が他局の番組と重なったとき、再放送枠(ほとんどが深夜)に予約時間をずらせるので結構助かっているのだが、裏を返せば、NHKには、そのチャンネル数に見合うコンテンツの供給体制が構築できていないということではないのか。

いずれにせよ、民法のBSを見たくてBSアンテナを立てたら、必要ないNHK BSの受信料を請求されるというのでは、本末転倒だ。国がBS放送の普及に前向きがどうかは知らないが、もし、BSを普及させたいと思っているのなら、NHKのBSは、BS全体の普及には、結果的にマイナスになっていると断言しよう。

ところで、今、「国がBS放送の普及に前向きがどうかは知らない」と言ったが、実のところ、自分自身はBSは完全に「オワコン」と思っている。そもそも、ネット放送の普及が急拡大している今、BSの必要性がわからない。自分の息子は一人暮らしをしているが、これまでテレビすら持っていなかった。それで何の不自由もないとのことだったが、実は先日、実家にあった古いテレビを持っていった。仕事上、何かテレビを見る必要があったのかもしれないが、それでも、「見られればいい」ということで、最近はやりの有機ELとか、そんなものには全く関心がない。4K、8Kなどと言ったらなおさらだ。そんな中、NHKでは、“BS 4K、8K”を盛んに宣伝しているが、そんなものに予算をつぎ込んで、一体どれほどの視聴者(特に若い世代)がそれを望んでいると思っているのだろうか。そんな要りもしないものに使う金があったら、とっとと地上波の受信料も値下げしろと思っているのは、私だけではあるまい。

さらに言わせてもらえば、現在の「地デジ」の画質以上のものを供給したところで、その違いを実感できる視聴者がどれだけいるのだろうか。先日、テレビを見ていたら、どうも(見にくい)と感じる。どうしたのかと思ったら、なんのことはない、仕事用の眼鏡をかけたまま、テレビを見ていたのだ。仕事用の眼鏡は、手元がよく見えるように度数を下げている。それをかけたままだったから、テレビはよく見えなかったのだ。こんな私のような“老眼”視聴者が、4K、8Kといわれて、その恩恵を享受することができるとは、到底思えないのだ。

 

さて、話は戻るが、予定されているNHK受信料の値下げはBSのみで、地上波には当面値下げの予定はない件、新聞報道によれば、NHK会長は、「現時点では、衛星波の割高感をまず解消するのが先」で、地上波を含めた両波の値下げは「あまり賢くない」と宣ったとのこと。このNHK会長、みずほホールディングス(HD)(現みずほFG)の社長に就任されたのが2002年、その直後に発生した大規模システム障害に対する言動を見て、当時、私は自分がやっていたウェブサイトに「こんな見るからに仕事ができなさそうな人物が社長になるとは、みずほはよほど人材が枯渇しているのではないか」と投稿していたのを思い出した。もう20年近くも前のことだが、改めて、人材の枯渇は銀行だけではないのだなと感じたのだった。

気になる千葉市“死亡者の発生状況”

さっき、テレビをつけたら、今日の東京都の新規感染者数は178人で、昨年11月24日(188人)以来、約3ヶ月ぶりに200人を下回ったとのこと。

減少傾向が続いているのは、良い兆候だが、これが緊急事態宣言を早期に解除してよいというサインなのか、或いは、解除予定の3月7日以降もしばらく宣言を継続しないと、今度は“第四波”が来るかもしれないとか、専門家の間でも意見が分かれているらしい。

以前、千葉市“入院調整中”に関する一考察で、「“入院調整中”が解消されない限り、医療現場の状況は変わらないと思う。」と書いたが、東京都の今の状況はどうなのだろうか?因みに千葉市はどうかというと、昨日(2月21日)付の“入院調整中”の患者数は145。1月24日に記録した997に比べれば、だいぶ減少してきてはいるが、直近10日間は100から200の間を行ったり来たりしている状況で、“下げ止まり”の観を呈している。前にも言った通り、緊急事態宣言が発令された最大の理由が医療現場のひっ迫であるのなら、“入院調整中”の数がこの状況のままでは宣言解除は難しいのでは、というのが自分の考えだ。

 

ところで、実は、新規感染者数とは別に、気になっている数字がある。それは、千葉市ウェブサイトで公表されている死亡者の発生状況だ。昨日までの千葉市の死亡者数は合計47人。1例目の死亡例が発生した昨年4月17日以降、10例目、20例目、30例目、そして40例目まで、10例毎の発生日と、それに要した日数を以下にまとめてみた。

 

発生日

10例増加するのに要した日数

1例目

2020年4月17日

10例目

2020年12月7日

234日

20例目

2021年1月21日

45日

30例目

2021年2月11日

21日

40例目

2021年2月16日

5日

10例目に到達するのに約八か月(234日)を要したのに対し。20例目までは45日、30例目までは21日、そして40例目までは、わずか5日だ。

千葉市のサイトでは、「日々の感染者数に一喜一憂しないよう、一週間の傾向をしっかりとご確認ください。」(サイト上の記載)とのことで、週報というのが公開されているが、それによれば、千葉市内で最も感染者数が多かった週は、確定日ベースで1月4日から10日の週(感染者数581)。その後は、週を追うごとに減少し、直近の2月8日から14日の週は、感染数は120だ。にもかかわらず、感染者数が減少に転じて既に一ヶ月以上が経過した2月11日から16日の間に、これまでにないほどの死亡例が報告されているのだ。この、“感染者数減少 vs. 死亡例激増”という状況を、一体どう解釈すればよいのだろうか。

素人の自分が思うに、まずは次の二つの原因が考えられるのではないか。

  1. ウイルスの悪性度が上がり、死亡率が高くなった。
  2. 以前は救命できていた重症度の患者が救命できなくなった。

千葉市以外の都市がどのような状況なのかわからないが、千葉市に特段の特殊要因があるのでなければ、死亡者数の推移は、他の地域も似たような状況なのではないか(もし、千葉市が特殊なのであれば、それはそれで千葉市にとっては大問題だが…)。であれば、緊急事態宣言の解除の前に、まずは、このような状況に対する原因分析をする必要があるのではなかろうか。自分が挙げた二つの原因のうち、もし、後者だとしたら、感染者数が減っているのもかかわらず、医療現場のひっ迫度は改善されているどころか、さらに悪化している可能性すらある。東京都の新規感染者数が3ヶ月ぶりに200人を下回ったくらいでは、ジジイは全く安心できないのだ。

キャリアメールが付いている新料金プランがあればいいのに。

5G対応ガラホはかなわぬ夢かで、「ここ最近、NTTはドコモを完全子会社化、KDDIUQモバイルの統合完了というニュースが続いた。」などと言っていたのが昨年の10月。その後、NTTドコモが12月に「ahamo(アハモ)」を発表したのを皮切りに、auは「povo」(ポヴォ)を発表、そしてソフトバンクが「LINEMO(らいんも)」を発表したのが今週だ。

細かい比較は、その分野に詳しい方々がいろいろなところで解説しているので、ここでそんな話をしようとは思わないが、まあ、どれも大差ないというか、(事前に相談してるんじゃないの?)と勘繰りたくなるほど似たような内容だ。

以前話した通り、自分はauユーザーなので、普通に考えればpovoに乗り換えという判断になるのだが、実は、別の会社にしようと考えている。

理由は単純で、キャリアメールが使えないから。これは、ahamoもLINEMOも同様だ(このあたりも談〇なんじゃないの?、と疑われるところだ)。じゃあ、一体にどこに、ということになるのだが、いろいろ調べた結果、決めたのは、mineo(マイネオ)だ。

そもそも、なぜキャリアメールが必要かというと、ネット銀行を使っているから。ネット銀行で取引した際、「こんな取引がありましたよ」と、メールに送信してくるのだが、多くのネット銀行は、通知先のメールアドレスとして、携帯のキャリアメールを推奨している。その反対に、Gmail等のフリーメールは「お控えください」とのこと。ネット銀行で取引するたびにメールが送られてくるのを(鬱陶しい)と思わないこともないのだが、“万が一”の時のことを考えると背に腹は代えられない。

そんなわけで、キャリアメールが使えるところがないかと探してみると、上記の通り、メジャーなキャリアの新料金プランは“全滅”だ。一方、格安SIMはどうかと言えば、端(はな)から、キャリアメールなど眼中にない、という体(てい)で、多くの格安SIMは、そもそもキャリアメールの設定がない。そんな中、マイネオには“mineoメールアドレス(〇〇@mineo.jp)”があるとのこと。また、先月末に発表されたmineo新料金プラン「マイピタ」も、なかなかよさげだったこともあり、そちらに移行しようという算段だ。

それにしても、大手三社の新料金プランにキャリアメールがなくて、不便に感じる人は少ないのだろうか?新聞報道などによると、新料金プランへの移行はネットでの申込のみだそうで、主なターゲットは若者らしい。イマドキの若者は、ネットで銀行取引などしないのか、或いは、そもそもネット取引そのものをスマホで済ますから、気にしないのか。年寄りもスマホでネット取引すればよいかもしれないが、あの小さい画面でカネのやり取りを確認するのは、老眼には余りに辛すぎる…。

 

正直に言うと、できれば大手の新料金プランに移行したいというのが本音だ。いずれかのキャリアが、キャリアメールを付けてくれたらなぁ、と思わずにはいられない。事業者に対して妙に強気な態度の総務大臣が、果たしてご自身でネット銀行にアクセスする機会があるのかはわからないが、ここは一般市民の声に耳をお貸し頂き、是非、新プランへのキャリアメール付帯に力を発揮して頂きたいところだ。

“ムーンショット”に関する、とてつもない勘違い

以前、ネルソン・マンデラとポケトークで、英語学習にBBC Learning Englishを活用していると書いたが、その中のThe English We Speakというプログラムの先週のお題は"Moonshot"。

この言葉についてのプログラム中の説明は以下の通り。

An ambitious project carried out without any expectation of short-term profitability.

言葉の由来は、J・F・ケネディ大統領が行った二つのスピーチと言われる。

一つ目は、1961年5月25日に行われた、“Special Message to the Congress on Urgent National Needs”(「国家的緊急課題に関する特別議会演説」)の中の以下のくだり。

"This nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the moon and returning him safely to the earth. "

(この国は、この10年(=60年代)が終わる前に、人を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標を達成することを約束すべきだ。)

二つ目は、1962年9月12日に国民へ向けて行われた一般演説に中の以下のくだりだ。(こちらのほうが有名だろう。)

“We choose to go to the moon.” (我々は、月に行くことを選ぶ。)

そして、アポロ11号船長ニール・アームストロングと月着陸船操縦士エドウィン・オルドリンが月面着陸に成功したのは、1969年7月20日だった。

まさしく有言実行、“月面着陸”という“an ambitious project”を見事成し遂げたのだった。(私くらいの年代の方々は、小学校のテレビで、アームストロング船長が月面に第一歩をしるす瞬間を見た記憶をお持ちに違いない。)

 

実は、この“ムーンショット”プロジェクト、日本でも行われている。もちろん、目指しているのは“月面着陸”ではない。今年2月8日付の内閣府ウェブサイトには、

「7つのムーンショット目標のPM(計47人)が揃い、研究開発プロジェクトが本格的に始動しましたので、お知らせいたします。」

とある。7つのムーンショット目標として揚げられているのは、

目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現

目標2:2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現

目標3:2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

目標4:2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現

目標5:2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出

目標6:2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現

目標7:2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現

 

内閣府のウェブサイトでは、予算規模に関する記載を見つけることができなかったが、新聞報道等によれば、平成30年度第2次補正予算で5年間に1000億円が計上されたとのこと。

 

お上が、国の研究振興に前向きなことは、国民としては、大変ありがたいことだと思う。その一方で、何か、とてつもない勘違いをしていないか、とも思う。以下、一般市民の“戯言”を述べてみようと思う。

まず、どの目標も、それ自体は大変素晴らしいとは思うが、“~までに”の部分を見ると腰が抜ける。目標7が2040年で、それ以外の六つの目標は全て2050年、今からおよそ30年後だ。一体誰がどうやってそんな長期間の“プロジェクト”をマネジメントするのだろう。1000億円の予算をぶち込むのはよいが、それが役に立ったのか、或いはドブに捨てたのか、どうやって検証するのだろうか?中には「BBCが紹介しているムーンショットの定義に"without any expectation of short-term profitability"とあるように、プロフィット度外視でいいのだ。」という人があるのかもしれないが、withoutしてよいのは“short-term”のプロフィットだけだ。さらに、このプロジェクトをけん引しているお役人たちは short-term ならぬ“long”-termの期間をどれくらいと考えているだろうか。アポロ計画を見てみてほしい。ケネディが「月に行く」と国民に述べたわずか7年後、その宣言通り60年代に目標を達成しているのだ。ケネディの時代より、よほど変化が速い現代社会で“30年後”に達成を目指すプロジェクトなど、そもそも“プロジェクト”と言えるのだろうか。件のBBCのプログラムを是非聞いてほしいのだが、そこで紹介されている以下の例文はアポロ計画についてではない。“An ambitious project”は、新型コロナウイルスに対するワクチン開発なのだ。

We're investing in a moonshot vaccine to help fight the virus.

新型コロナウイルスパンデミックが始まっておよそ1年、これが彼らの“ムーンショットプロジェクト”の期間(しかもlong-term)だったのだ。そして、見事に成功させた。一方、“日の丸”ムーショットは、目標の文言自体は素晴らしいが、余りに“漠”としているうえ、達成は30年後。このスピード感では、勝負になるわけがない。月が遥かかなたにあるからと言って、目標達成がはるか未来であっていいわけはないのだ。

 

千葉市“入院調整中”に関する一考察

千葉市は、新型コロナウイルス感染者の発生についての中で、市民の感染症患者の発生状況を毎日更新している。ここで公表されている数字のうち、入院中、入院調整中、宿泊療養等の数字を追ってみた。期間は、千葉県を含む首都圏1都3県を対象に、緊急事態宣言を発令された1月7日から3日後の先月10日から昨日までの、約一ヶ月間だ。

 

まず、最初の10日間(1月10~19日)は以下のグラフの通り。

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この間、緑線の“入院調整中”は、10日の392人から19日は731人へと、上昇の一途を辿っている。その一方、赤線の“入院中”と青線の“宿泊療養等”は、ほとんど変化が見られない。

もし、新型コロナ患者用のベットや、宿泊療養施設に余力があるのであれば、“入院調整中”の数の増加に伴い、“入院中”と“宿泊療養等”も上がっていくはずだが、そうならないのは、既にそれぞれのキャパシティを使い切ってしまっていると思うのだが如何だろうか。因みのこの期間のそれぞれの最大値は、“入院中”が77(1月16、17日)、“宿泊療養等”は32(1月10日)。千葉市の人口約98万人に対する数字として、これが日本国内において標準的なキャパなのか、他の政令指定都市の状況とも比較してみたいところだ。

それにしても、入院調整中731人という数字には背筋が凍る思いだ。731人目の患者の調整には、どれくらいの時間を要したのだろうか?(これについては、あとで考察する。)

 

ところが、事態はこれで収まらない。この“入院調整中”の増加は、その後も衰えることなく、5日後の1月24日に最高値(997人)を記録するまで上昇を続ける。

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ほぼ千人の患者が、入院先が決まるのを待っている一方、この間も、入院数は、ほとんど変化がない(最大値は1月24日の82)。行政としてはベット数増床を試みたと思われるが叶わなかったようだ。入院調整が必要な患者数の、あまりに急激な増加を目の前にして、立ち尽くすより他なかったのではないか。

因みに1月24日と言えば、東京都の感染者数が12日ぶりに千人を下回った日だ(986人)。世の中は、(緊急事態宣言の効果が表れてきたのでは)と、緊張の度合いを緩め始めた頃だ。しかし、(少なくとも千葉市における)医療現場の実態としては、最悪の状況だったと考えられる。

 

さて、その後、どうなったか。まず、1月末までの推移を見てみよう。

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ここで奇妙な現象が起こる。前日まで、急上昇を続けていた“入院調整中”が、今度は逆に急降下を始めたのだ。1月31日のそれは617人。僅か一週間で369人の減少だ。一体何が起こったのか。入院のキャパが増えたのかと言えば、そんなことはない。グラフで見るとおり、若干増加(1月31日で106人)しているが、“入院調整中”の急降下を説明するには余りにも少ない。それでは、退院が増加して、その分のベッドが空いたのか?グラフには示していないが、1月24日から31日までの間に退院したのは、51人※1。仮に1日24日以降、一人の“入院調整中”も発生しなかったとしても、入院キャパの微増と退院数を差し引いて、およそ300人の“入院調整中”が“消失”したことになる。なぜか。最も可能性が高いと思われるのは、入院調整中の患者が、その状況のまま罹患期間を経過・終了してしまい、入院を“調整”する必要がなくなったため、入院調整中の数字から外されたというケースだ。その場合、患者はじっと自宅で連絡を待つしかなかったのだろうか。因みに1月10日から31日までに間に千葉市で発生した患者数は、1,220人※2。入院が必要と判断されたのに入院できない患者が300人を超えるということは、約4人に一人の割合だ。この状況を表現するのに、“医療崩壊”以外の言葉を思いつかない。

 

最後に、2月に入ってから昨日までのデータを紹介する。

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2月に入ってからも、入院調整中の数字は2月5日まで減少し続け(397人)、1月10日のレベルに戻ったが、その後は一進一退という状況だ。因みに1月10日から昨日までの間に新型コロナで亡くなった方は15人※3。一方、コロナ禍が始まってからの死者合計は29名(市外2名を含む)。この30日間で、全死亡者数の半数以上のかたが亡くなられているのだ。そんな“破壊的”な状況の割には、その間のテレビのニュース報道に、切迫感や緊張感が欠けていたと感じるのは私だけだろうか。

 

緊急事態宣言が発令された最大の理由は、医療現場のひっ迫だろう。「入院調整中の患者がいる」ということが、「入院のキャパシティをフルに使っている」ことを意味するという解釈が正しければ、“入院調整中”が解消されない限り、医療現場の状況は変わらないと思う。入院調整中を解消するには、患者数を減らすか、コロナ感染者用のベット数を増やすしかない。

これまでの“入院中”の最大値は112人(2月3日)。仮に、個々のコロナ感染者の入院期間が10日とすれば、一日当たりの感染者数が、ベット数の1/10以下にならなければ、“入院調整中”は解消しない計算になる。112/10=11.2。一方、昨日一日の感染者数は14人※4。最悪期は既に超え、もうひと頑張りのところまで来ていると願わずにはいられない。

 

※1:新型コロナウイルス感染者の発生についてにおける1月24日および31日更新の累計退院者数(それぞれ864人および915人)から計算

※2:新型コロナウイルス感染者の発生についてにおける1月10日および31日更新の累計患者数(それぞれ1,811人および3,031人)から計算

※3:新型コロナウイルス感染者の発生についてにおける1月10日および2月9日更新の累計死亡数(それぞれ14人および29人)から計算

※4:新型コロナウイルス感染者の発生についてにおける2月8日および9日更新の累計感染者数(それぞれ4,170人および4,184人)から計算