アラ還オヤジの備忘録

雑感や、その他諸々。

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

だれもが目に見えない看板を首から下げて人生を歩んでいる。そこに書かれているのは…

皆さんはシェイクシャック (Shake Shack)をご存じだろうか、米国発のハンバーガー屋で、日本には10前後の店舗を展開しているらしい。2015年の日本進出時には、”高級ハンバーガー店”としてニュースにも取り上げられていたので、そこそこの認知度があるのではなかろうか。

実は、このシェイクシャック、以前から一度行ってみたいと思っていた。その一方、アラ還オヤジが、ハンバーガーを食べるという目的だけで、店の界隈までわざわざ出向くというのも、何か場違いというか、何というか、とにかく、行きそびれていたのだった。

それが、たまたま、みなとみらいで、あるイベントがあり、それに参加した際、(そういえば、確か…)とシェイクシャックが出店しているのを思い出し、尋ねてみることにした。

 

正直に言えば、味自体にはそれほど期待していなかった。如何に高級だろうとハンバーガーは、ハンバーガー、今から40年ほど前にイタ飯屋で学生アルバイトしていた際、その当時の値段で1000円越えのハンバーガーがメニューに載っていたが(イタ飯屋でハンバーガーというのが、如何にも時代を感じさせるが…)、大したものではなかったという記憶もあった。

私は食のレポーターでも何でもないので、シェイクシャック のハンバーガーの味についてここで多くをコメントすることはしないが、一言でいえば、良い意味で大きく裏切られた。「また、食べてみたい」と素直に思える味だったということは、ここに記しておこう。

 

ところで、そもそも私がなぜシェイクシャックに一度行ってみたいと思っていたのか。それは、シェイクシャックを立ち上げた人物が、ユニオン・スクエア・ホスピタリティ・グループ(USHG)CEOのダニー・マイヤーだからに他ならない。USHGといえば、東京ミッドタウンにあるユニオン スクエア トウキョウも、その傘下だ。

 

彼のこれまでの人生、レストランにかける情熱、そして、その経営についての考え方をまとめたのが「おもてなしの天才」(原題:Setting the Table)だ。(もちろん、シェイクシャックを開業するに至ったエピソードにも触れられている。)

およそビジネス書らしかぬタイトルだが、私がもし、自分の”好きな”ビジネス書を一冊だけ挙げろ、と問われたら、現時点においては、おそらく本書を選ぶと思う。

自らの手でゼロ・ベースからビジネスを立ち上げ、発展させていくその過程は、現場で得られた教訓と示唆に富んであり、これまで何度となく読み返してきた。そんな中で、心に強く残っているフレーズが、冒頭の「だれもが目に見えない看板を首から下げて人生を歩んでいる」だ。

さて、一体どんな看板をぶら下げているというのか。正解は、

 

「大事にされていると感じさせて」だ。

 

この言葉自身は、実はダニー・マイヤー自らのものでなはい。オリジナルが誰かは本書を読んで頂きたいのだが、これを見たとき、「大事にして」ではなく、「大事にされていると”感じさせて”」というところに衝撃を受けたものだ。

 

顧客はもとより、社員、株主、取引先等、さまざまなステークホルダーを”大事”にすることは、ビジネス上、至極当然のことと思われるだろう。しかし、それが相手に伝わらなければ意味がない。そんな当たり前だが見落としがちなことを再認識させてくれる一言だった。

 

シェイクシャックみなとみらい店では、次の予定もあり、「大事にされていると感じる」時間も余裕もなく、あっという間に店を後にしたが、次はもう少し余裕のある時に訪問できたらと思う。

5G対応ガラホはかなわぬ夢か

新政権の支持率が好調だ。最新の世論調査では7割を超えているという。カミさんに理由を尋ねてみると「みんなケータイ料金を下げてほしいと思ってるんじゃないの?」との返事。なるほど。さすが家計を預かる人の考えは合理的だ。新総理は以前から携帯料金の値下げに積極的と聞くし、下げ幅についての発言も”4割程度は可能”と具体的だ。そんな総理の意向に応えるための準備なのか、ここ最近、NTTはドコモを完全子会社化、KDDIUQモバイルの統合完了というニュースが続いた。

 

ケータイ料金については、「格安スマホを使えば今でも安い。」という人もいる。確かにその通りなのだが、現行キャリアからの乗り換えは、非常に複雑な契約内容もあり、なかなか骨の折れる仕事だ。また、海外でも国内と同様に使えるのかどうか、一抹の不安もある。キャリアがそのままで、料金が4割も下がってくれるなら、それに越したことはない。新首相には、是非とも早期に”公約”実現をお願いしたいところだ。

 

さて、かく言う私の携帯料金だが、月におよそ千五百円程度だ。これを聞いて多くの人は”安い”と思われるに違いない。格安スマホを使っている訳ではない。キャリアはau。種明かしをしてしまえば、何のこともない。”ガラホ”を使っているのだ。ご承知の通り、ガラホは、見た目は全くガラケー、中身はアンドロイドだ。機種は京セラのGRATINA 4G。

以前、使用していた”正真正銘”のガラケーは3G対応だったのだが、2018年3月で国際ローミングサービスが終了という話を聞き、3年ほど前に機種変更したのだ。(尤も、本体はネット経由で、ほとんどタダ同然で手に入れることができたのだが…。)

 

”今の時代にガラホ?”という向きも当然あろう。実際、コロナ禍で巣籠もりするようになる前、仲間内の飲み会等でガラホを鞄から取り出すと、皆一様に”未だにそんなのを使ってんのかよ!”という反応だった。しかし、自分の携帯の使い方では、通話、キャリアメール、ショートメールがあれば事足りる。さらに言わせてもらえば、通話をする際に、ガラホの形(二つ折りを開いて、スピーカーの部分を耳に当てれば、マイクの部分はちょうど口のあたりだ)のほうがしっくりくる。そもそも、電話をするのに、何故あんな”かまぼこ板”みたいな形をしたものを耳に押し当てて話をしなければいけないのだ!

 

まあ、そんなことはさておき、実はこのガラホ、想像以上に賢い。何しろ中身はアンドロイドだ。その気になればアプリもインストールできる。以前は、アプリのapkファイルをgmailに張り付けてガラホ側に送る方法もあったそうだが、今は、パソコン側でダウンロードしたapkファイルをBluetooth経由でガラホ側に送る。こうすれば、ほとんどノーストレスでガラホにアプリをインストールできる。自分がインストールして重宝しているのは、メールアプリの「AquaMail」とTwitterクライアントの「SobaCha」。どちらもWi-Fi環境であれば通信費も気にせずに使用できる(AquaMailは、メールが届けば「プッシュ通知」までしてくれるのだ)。

 

さらに言えば、バッテリーの持ちが尋常ではない。自分の場合は、大体一週間から10日間くらいの間隔の充電で済む。別に途中で電源を落とすとか、何か特別のことをしている訳でもない。災害時を考えると心強い限りだ。また、今となっては珍しい、ワンセグのテレビを視聴できるのも災害時向きと言える。2011年の震災時には、当時使用していた携帯電話のワンセグテレビが情報収集に随分と役立ったものだ。

 

そんなわけで、これまでは、ガラホで十分満足していたのだが、ここに来て、いくつか困ったことが出てきた。一つ目は、モバイルSuicaだ。GRATINA 4Gが、2020年12月22日にモバイルSuicaログインサービスが終了する端末のリストに含まれているのだ。私のガラホには、今もそこそこの額のSuica電子マネーがチャージされている。以前はJRの駅の構内の売店や駅ビルにテナントとして入っているレストラン等で使う機会も多かったが、このコロナ禍で外出する機会がめっきり減った。とても残り3ヶ月弱で全部を使い切れそうにない。サービス終了後も、電子マネーのデータは残り、そのまま利用できるらしいので、焦らなくてもいいかもしれないが、ログインできないのでは、何かと不都合も多かろう。コロナの影響を考慮し、JRには、是非サービス延長を検討して頂きたいところだ。

 

ガラホで困ったことのもう一つは、新型コロナウイルス接触確認アプリ”COCOA”だ。私も是非使ってみたいと思うのだが、残念なことに、COCOA対応のアンドロイドのOSバージョンは、6.0以上とのこと。一方、GRATINA 4Gにインストールされているアンドロイドのバージョンは5.1.1。これではどうにもならない…。

 

そんなわけで、そろそろ新しい端末に機種変更しなければと思いながらも、”かまぼこ板”に抵抗のある私は、新しいガラホの登場を期待していた。今のご時世なら、5G対応もアリだろう。そんな中、新しい”GRATINA”発売の情報を得た私は、喜び勇んでauwebsiteにアクセスしたのが、そこで待っていたのは、無残にも”かまぼこ板”姿に変身したGRATINAという名の ”スマホ”だったのだ…。

ベーシックインカムと失業保険

昨日の朝、朝刊を広げると、いくつかの週刊誌の広告が目に入った。その中で、私の興味を引いたのは、パソナグループ会長の竹中平蔵氏が語ったという「月7万円のベーシックインカム」についてのものだった。世間に疎い私は全くノーマークだったのだが、先月23日夜のテレビ番組での発言らしい。

これに対し、ツイッターでは<#竹中平蔵は月7万円で暮らしてみろ>というハッシュタグがトレンド入りしたそうだが、竹中氏の主張は「月7万円を支給する代わりに年金も生活保護も必要なくなる」というものでもあったそうだから、一般市民のこのような反応は、当然と言えるだろう。

 

竹中氏の名前が、具体的に私の脳ミソにインプットされたのは、今から約20年前、氏が小泉内閣で経済財政政策担当の特命大臣に就任する1年ほど前に出版された「経済ってそういうことだったのか会議」(著:佐藤 雅彦、竹中 平蔵)を読んだ時だったと思う。

共著者の佐藤氏が同郷(と言ってもかなり先輩だが)と教えてくれる人がおり、手に取ったのだ。今回の件で、久しぶりに本棚から引っ張り出してみた。

さすがに20年前の著作だけあって、今読んでみると、すでに死語と化しているものもある。たとえば「”とらばーゆ”で職探し」と聞いて、今、どれほどの人がピンとくるだろうか。そんな子細なことを除けば、全体としては、経済学の入門書として今でも十分通用する良書と思う。ただ、本書の第9章”人間とは「労働力なのか」-労働と失業”の記述は、竹中氏の現在の肩書が”パソナグループ会長”であることを考えると、非常に興味深い。

 

さて、ベーシックインカムである。コロナ禍での大量失業時代に直面する中で俄然注目されているわけだが、すでにいくつかの実例があるそうだ。フィンランドでは2017年から2年間、560ユーロのベーシックインカム給付実験を行ったとのこと。今の為替レートだと、ちょうど約7万円(!?)。ただ、ベーシックインカムには「最低限の文化的・社会的生活を送るのに十分」な”完全”ベーシックインカムと、それ未満の”部分的”ベーシックインカムがあり、フィンランドの例は後者に当たるとのことなので、やはりEUでも7万円では不十分ということだろう。また、スペイン政府は今年5月末にベーシックインカムの導入を決め、6月中旬から申請の受け付けを開始したそうだが、支給条件が非常に複雑である等の理由から、支給は遅々として進んでいないという。因みに支給対象人数は約230万人にも上るとのこと。

 

こうして、規模の大小はあれ、実際に導入が始まっているベーシックインカムだが、もちろん賛否両論がある。たとえば、貧困者の自立支援のため「グラミン銀行」を創設し、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスは、日本の新聞社のインタビューの中で、コロナ禍でのベーシックインカムについて、次のように答えたという。「失業して収入が途絶えた人々にとって、いまは適切な緊急援助策でしょう。ただ恒久的な政策になり得るわけではない。」

 

一般市民の私が、ベーシックインカムの是非について述べるのも烏滸がましいが、しいて言えば、私自身の考えはユヌス氏に近い。今は”緊急”事態であり、”失業して収入が途絶えた人々”への援助が必要だろう。その観点からすれば、日本では、その役割を失業保険が果たすべきと思うのだが、現在の制度設計で、この未曽有の緊急事態に十分対応できるのだろうか。

 

雇用保険の給付を受けるには、まず、対象となる労働者が雇用保険の被保険者である必要がある。正社員では、まず問題なかろうが、非正規労働者のなかで、雇用保険の加入条件を満たし、保険料を支払われているケースというのは一体どれくらいの割合なのだろうか?何しろ竹中氏が「経済ってそういうことだったのか会議」のなかで「ですから今、派遣従業員を認めろとか、パートのあり方を規制緩和しろとか、そういう面での議論が非常に活発になってきました。まさに労働のアロケーション、つまり配置を自由化することです。」と述べて以来、「雇用の流動化」は急速に進み、現在の非正規労働者の割合は平成元年比で、男性は約3倍、女性は約2.5倍にもなっているというのだ。

また、過去に雇用保険の加入条件を満たし、保険料が支払われていたケースでも、その後1年を超えて未払い期間があった場合は、それまでに支払われた保険料は”リセット”されてしまう。過去に10年間雇用保険料を納付していようが、たとえそれが20年だろうが、1年を超えての空白期間が発生すれば、それ以前の納付部分はすべて”没収”されてしまうのだ。非正規労働者が、雇用保険の加入条件を満たす環境下で継続して働き続けるというのは、はたして現実的な想定なのだろうか。

 

因みに、失業手当として支払われる基本手当日額の下限額は、年齢に関係なく、2千円とのこと。30日であれば6万円だ。実は、竹中氏の”7万円”という金額は、フィンランドの事例より、むしろこちらの数字を参考にしたのでは、と感じた(単なる邪推にすぎないが)。一方、最高額は8,370円(対象年齢は45歳以上60歳未満)。こちらは30倍すると約25万円になる。実際の支給額の分布がどのようになっているのか、是非知りたいところだ。

 

過去の雇用保険料の納付の有無にこだわらす、失業手当の支給条件を見直し、”失業して収入が途絶えた人々”への援助のために税金を使う方が、全国民を対象とした一回こっきりの10万円給付より、よほど実効的と思うのだが。

電話会議で使うスピーカーフォンは何がいい?

今年1月中旬、コロナがまさかこれほどの騒ぎになろうとは思いもよらなかった頃、私は出張先のロサンゼルスから成田に向かっていた。

機内は照明が消され、周りの乗客はほとんど寝ていたが、私は”機内では到着地の時間に合わせて過ごす”という信条に基づき(理由は時差ボケ克服のため。この対策は、私には非常によく効く)、自分の座席前のディスプレイで映画を見ていた。

ちょうどキャビンアテンダントがドリンクのカートを引きながら私の横を通ったときのことだ。どうしたはずみか、カートの上に乗せてあった飲みかけの缶ビールが倒れ、私のシャツの肩のところに、残りのビールがかかってしまった。(しょうがないなぁ)と思いながらも、自宅に帰れば、どうせシャツは洗濯するし(洗濯するのはカミさんだが)、黙って自分のハンカチで肩を拭いていると、そのキャビンアテンダント(non-Japaneseの若い男性)は、固まったようにこちらを見ている。彼の(たぶん、客に怒られるという恐怖からの)緊張がこちらにも伝わってきた。そんな彼に、私は手を軽く横に振りながら「大丈夫、何も問題ないよ」と伝えると、彼は、その緊張を保ったまま、軽く会釈をしながら、何も言わず立ち去っていった。

 

それから30分くらい経っただろうか、件の彼が、多分彼の上司と思われる日本人女性のキャビンアテンダントを連れて再びやってきた。その女性が言うには、彼がどうしてもお詫びをしたいと言っているという。手には、なんと日本円で約8,000円相当のバウチャーが。これで機内販売の品物の中から、何か気に入ったものを購入してほしいというのだ。そんなことをして頂かなくても、とお断りしたのだが、先方も、是非にということで譲らない。

 

結局、有難く頂戴することにしたのだが、さて、何を買ったらいいものか。機内販売といえば、化粧品や、女性用のアクセサリーとか、およそアラ還のオヤジの物欲をそそるようなものはないという印象だった。そもそも8,000円というのが、なかなか微妙である。機内販売誌に掲載されている商品の中で、1万円以下のものというのは多くないし、あっても物欲をそそるようなものは少ない。私は無駄なものは買わない主義なので、どうせ買うなら、自分でしっかり活用できるものを買いたいのだ。だからといって、そのバウチャーを使わないというのも彼の気持ちを無駄にするというか、何か後ろめたい気がする。(そんな日本人的心理を読んだうえでのバウチャーだとしたら、彼もなかなかのやり手だ。)仕方がないので、機内販売のカタログをパラパラめくっているうちに、目に留まったのが、Jabraのワイヤレスイヤホン Elite Activeシリーズだ。

(これは、なかなかいいかもしれない)と思った。ちょうどスポーツジムで音楽を聴くのにワイヤレスイヤホンがほしいと考えていたのだ。しかし、ネットでワイヤレスイヤホンをググってみると、それこそ、玉石混交、千円台から数万円するものまであり、一体どれがよいのか全く見当もつかず、購入を逡巡していた。そうか、Jabraがあったか。

 

なぜ、Jabraなら、と思ったのか。実は仕事上、電話会議でJabraのスピーカーフォンを使っていたのだが、これがすこぶる使い勝手がよく、重宝していたのだ。

電話会議といえば、つい数年前までは、WebExとポリコムの組み合わせが定番だった。タコのような形をしたポリコムにWebExから提供される電話番号リストの中の日本の電話番号を入力すると ”Please enter your password.”というアナウンスが流れる。指定されたパスワードを入力すれば、電話会議の開始だ。しかし、WebExのシステム使用料は決して安くはなく(基本、使用しているのは国際電話回線だ)、安易に使用できるようなものではなかった。

 

ところが、今や電話会議の主役は、ZoomやMicrosoft Teamsである。インターネット経由であれば電話代もかからない。相手が、日本国内だろうが、アメリカだろうが、気軽に電話会議ができる時代になった。その際、一人で自分の部屋から参加するのであれば、自分のラップトップからアクセスすればよいが、複数の参加者と一緒にミーティングルームから参加するには、ポリコムにかわるようなスピーカーフォンが必要だ。私が使っていたJabraのスピーカーフォンは、音質や、マイクの感度がいい(発言者の位置も選ばない)のはもちろんだが、使用方法も直感的にわかり(取説を読まなくても、まず大丈夫だ)、さらにスピーカーフォンにしては小型、軽量で、付属のケースを使えば、鞄に入れて取引先に持参し、そこから客と一緒に電話会議に参加することもできる。そんなわけで、Jabraというメーカーには、一目置いていたのだが、そこが出しているワイヤレスイヤホンなら、信頼できるだろうと思ったのだ。

 

実際、Jabraのワイヤレスイヤホンを使ってみると、非常に調子がよく、快適だ。さらに、電話会議に一人で参加する際にも重宝する。そもそもワイヤレスイヤホンはスマホと接続する前提だが、Windowsとも問題なく接続することができる。マイクの感度も非常によく、電話会議の相手からも好評だ。さらに、ラップトップの前から、ちょっと離席したい場合でも、大した距離でなければBluetooth経由で接続が切れないので(10メートルくらいは大丈夫らしい)、そのまま会議の参加し続けることが可能だ。

 

思いもかけず手に入れたJabraのワイヤレスイヤホンだが、本当に良い買い物だった。あのキャビンアテンダントには感謝しなければ。

合流新党と原子力研究

今月前半、立憲民主党と国民民主党が合流した。議員数は約150で、11年前に民主党政権交代を果たした衆議院選挙の直前の議席に迫る規模らしい。一方、国民民主党の一部議員は合流新党には参加せず、新たに国民民主党として活動するそうだ。自民党に対抗するという目的からすれば、全員合流したほうがよいようにも思うが、合流しなかった議員にはそれなりの考えもあるのだろう。一部報道では、合流新党の綱領にある「原発ゼロ」に対する立場の違いによるという。合流新党に参加しなかった議員を支持する労働組合が「原発ゼロ」に反対らしいのだ。残念ながら、私の周りには電力会社関係の知人・友人がいないので直接話を聞く機会はないが、電力会社の社員やその家族が皆、原発推進派なのだろうか?

 

私自身が、原発に対してどう考えているかをここで述べても、世の中に何の影響も与えないのではっきり言うが、私は「原発ゼロ」に賛成だ。もし、次の選挙で合流新党が「原発ゼロ」を最大の争点とし、与党がしかるべき対案を出してこないのなら、私は多分、合流新党に投票するだろう。日本列島の成り立ちと、地球を覆うプレート運動のダイナミズムを考えれば、原発の敷地の地下に活断層のあるなしで、その原発が安全かどうかなど、どうして判断できようか。

 その一方、合流新党の党首・執行部が、口を開けば自民党の批判ばかり(実際は違うのかもしれないが、テレビのニュースで見る限り、そのような印象を持たざるを得ない)なのは、善良なる一市民の感情としては、正直、あまり心地よいものではない。マスコミでは派閥云々とも言われているが、決められた手順に則った民主的な方法で選出された日本の新しいトップに対して、国内はもとより、外交においても活躍してほしいと期待するのは、日本人として当然のことだろう。合流新党の議員の皆さんは、暫くの間、与党批判は封印し、「自分たちは何ができるのか」(例えばそれが「原発ゼロ」でもいい)にフォーカスして国民に訴えてみては如何だろうか。そのほうが、よほど今より支持率を上げることができると思うのだが…。

 

話が脱線してしまった。原発の安全性については、「東京に原発を!」(広瀬隆著)という本を思い出す。

今、手に入る文庫版の出版は1986年だが、もともとは1981年に出された本だ。”東京に原発を”とのタイトルは、もちろん逆説的な意味だ。”そんなに原発が安全というなら、東京に原発を作ってみたらどうですか?そのほうがよほど効率的で経済合理性がありますよ” というのが、著者の主張だ(と思う)。東京に原発を作らなかったのは、本当のところ、皆、原発は危険と思っていたからではないか。そして、その状況がおよそ40年たった今でも変わらないことは、9年前の事故で証明されてしまった…。

 

ここまで読んで、「実は以前、川崎市麻生区に原子炉があった」と聞いたら、皆さん、信じられるだろうか。ウソではない、ホントの話である。最寄り駅は新百合ヶ丘だ。旧武蔵工業大学(現東京都市大学)が1960年から研究炉の建設を始め、1963年1月に初臨界となったとのこと。その後、1989年に停止(2003年に廃炉が決定)されるまで、様々な研究に活用されたという。最大出力は100KW。福島第一原発一号機の出力は46万KW(二号機は78.4万KW)というから、商業用原子炉との規模の違いは歴然である。

 

冒頭に述べた通り、私は「原発ゼロ」派だ。しかし、その一方で、原子力に関する研究は継続していくべきとも思う。旧武蔵工大の原子炉でも、いわゆる物理化学的実験以外にも、合計108件にもぼる脳腫瘍及び悪性黒色腫への照射治療を含め、様々な研究が行われたという。また、原発ゼロにすることで、原子力に関する研究が滞り、これまで蓄積されてきたノウハウも継承されなくなったとしたら、国防の観点からも、国としてのリスクは計り知れないのではなかろうか。

 

つい一週間ほど前のニュースで、ロシアが新型の原子力砕氷船を完成させたと聞いた。動力源として小型の原子炉2基を搭載しているという。また、アメリカ航空宇宙局NASA)は2019年、原子力ロケットシステム開発を目的とした1億ドルの予算を獲得したそうだ。それで火星へ向けた有人飛行を目指すらしい。素人の私には、原子力”研究”という範疇に、一体どれほど多種多様な研究テーマがあるのか、知る由もないが、合流新党には、「原発ゼロ」と並行して、原子力研究のあり方についても、是非方向性を示してほしいと思う。

海面温度を下げるには

近年、”100年に一度”レベルの災害が毎年発生している。今月初頭に日本を襲った台風10号は、幸いなことに事前の予想を下回る勢力で九州近海を通過していったが、初めのころを予報では、中心気圧920ミリヘクトパスカル、最大瞬間風速75mという、とんでもない勢力だった。なぜ、そんなことになるのか。気象庁の説明では、台風の発生する海域の海面温度が原因という。”海面温度が高い”という話はここ数年、良く聞かれるようになったトピックだ。テレビニュースの天気予報のコーナーに出演する天気予報士の方々の口からも、台風情報の際には、必ずと言っていいほど、このワードが飛び出す。地球温暖化問題が議論されるようになってから久しいが、海面温度が高いことが原因で台風がこれまで以上に発達するというなら、その状態が改善されない限り、今後も10号レベルの台風の発生は、覚悟せねばなるまい。

 

地球温暖化の主原因は、二酸化炭素等の温暖化ガスである。その排出を抑制することは、結果的には海面温度を下げるのに有効だろうが、その道のりは、かなり長そうな気がする。たとえ二酸化炭素の排出をゼロにしても、すでに排出された温暖化ガスの影響がなくなるまでには時間もかかろう。それまでの間、毎年、10号レベルの台風の恐怖に晒され、また、被害を受けるというのではたまらない。何とかできないものだろうか?

 

そんなことを、つらつらと考えていて、まず思いついたのは、「海面の熱エネルギーを別のエネルギーに変換することで、温度を下げられないか」ということだ。誰かそんな研究をすでにやっていないかとググってみると、ありました。何と、世界に一つだけ、現在稼働しているプラントがあるという。しかも日本に!くわしくは佐賀大学海洋エネルギー研究センターのウェブサイトをみてほしいが、随分と研究が進んでいる印象を受けた。これなら、もしかしたら、海面温度を下げることも可能かもしれない、そんな期待を抱かせるものだった。もちろん、そのためにはとてつもなく大きなプラントが必要だろうが、こういう研究にこそ、国は予算を投入すべきだし、是非そうしてほしいと心から思わずにいられない。

 

つらつら考えるついでに、続けて思ったのは、海の上で発電した電力をどうやって陸地まで運ぶのかということ。頭に浮かんだのは”超伝導”。電気抵抗がなければ、ロスなしで蓄電できるのではないか。その昔、国会で超伝導のデモンストレーションが行われたりしていたが、その後どうなったのだろうか。”ロスなし蓄電”は、太陽光発電のような他の自然エネルギーの活用にも必要と思うが。という訳で、再度ググってみると、こちらもありました。今度は山梨。公益財団法人鉄道総合技術研究所というから、やはりリニア関係のようだが、内容を見てみると、どうも自分が持っていたイメージとは違う。こちらは電気エネルギーを運動エネルギーに変換ですか…。悪くないと思うが、洋上発電された電気を運動エネルギーに変換して、それを波に揺られながら運んでも大丈夫なのか。素人発想からしても、若干の心配がある。それなら、水素はどうか。海洋温度差で発電した電気で水素を作って、燃料電池の原料にした方が現実的に思える。洋上運搬でも問題なさそうだし。

 

いずれにせよ、台風発生~発達海域に洋上発電プラントを設置し、そこで得られた電力で水素を作り、さらにそれを陸地まで運ぶという一連の工程を実現するには、とんでもない規模の設備(予算)が必要だろう。環境問題としたら、環境省が担当か。環境大臣は、最近は以前に比べ露出が少なくなったように感じるが、是非頑張ってほしいと思う。或いは、災害対策や産業振興の側面があることを考えると、他の省庁とも足並みをそろえる必要があるだろう。行政改革相にも、省庁間の縦割り解消と連携に、大いに力を発揮してほしいところだ(環境省単独では予算も限られるだろうし)。

 

台風の心配から、ついつい妄想が膨らんでしまった。あくまで素人の一市民による独り言なので、専門家の皆さんからのツッコミ等は、どうかご勘弁を。

忙しすぎて部下の教育ができないというのは…

以前、私は「毎月、マネジャー・トレーニングと称して、自らが講師となり2時間弱のセッションを持っていた」と書いた。1ヶ月の労働時間が仮に160時間だとした場合、2時間は全体の1.25%だ。それだけを見ると、大した負担はなさそうに見えるが、何の準備もせず、2時間の間、ただ、だらだらと自分の経験談(あるいは自慢話)を喋っていればよいわけではない。意味あるトレーニングを実施するには、それ相応の準備は不可欠だ。

たとえば、アンディ・グローブは自著「HIGH OUTPUT MANAGEMENT(ハイアウトプット マネジメント)」の中で、上司による部下の教育の「てこ作用」について説明する際、トレーニングに必要な準備時間として「1時間あたりに、3時間の準備が必要だ」と仮定して計算している。

自分のガッツフィーリングとしても、大体それくらいの準備時間は必要と思う。だとすれば、2時間のトレーニングであれば、その準備には6時間を要することとなる。毎月合計8時間を部下のトレーニングに費やす計算だ。この数字を見て、皆さんはどう感じるだろうか。5/160だから、割合的には1ヶ月の労働時間のわずか3%なのだが、8時間と言えば、丸1日に相当するわけだから、「自分には、とてもそんな時間的余裕はない」と思われる方も多いのではなかろうか。

ベン・ホロウィッツも自著「ハード・シングス」の中で次のように述べている。

「皮肉なことに、教育プログラムを整備するうえで最大の障壁は、時間がかかりすぎるという人々の認識にある。」

しかし、そのような“認識”を、彼は次の言葉でバッサリと切り捨てている。

「忙しすぎて教育ができないというのは、腹が減りすぎて食べられないというのと同じだ。」

因みにアンディ・グローブによる「てこ作用」の計算内容は、以下の通りだ。

【仮定】

  • 講義時間1時間のトレーニングコースを4回実施した場合、一回当たりの準備時間を3時間とすると、マネージャーの所要時間は合計12時間。
  • 一方、そのコースに10人が参加し、彼らの年間労働時間を2,000時間とすると、総労働時間は20,000時間。

【結論】

「仮にそのトレーニングコースを受講することにより、参加者の業績を1%改善しうるならば、12時間の消費により、200時間に相当する利益を得ることになる。」

 

”参加者の業績を1%改善”という設定は、随分と控えめに感じるが、それでも、17倍強のてこ作用がある計算だ。「腹が減りすぎて食べられない」と言って済まされる数字はないように思うのだが、皆さんはどのようにお感じになられるだろうか?もちろん、そのようなてこ作用を得るためにはトレーニングの内容が重要だ。マネージャーは部下に対してどのようなトレーニングを提供すべきなのか、ホロウィッツもグローブもそれぞれの自著の中で詳しく述べているので、是非ご一読頂ければと思う。