アラ還オヤジの備忘録

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実家に帰省(一日目)


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2週間ほど前のことだが、およそ1年3ヶ月ぶりに実家に帰省した。
“帰省”という言葉自体、最近はあまり聞かなくなったような気がする。自分が若い頃は、それこそ盆暮れは実家に戻るというのが一般的だった。生まれ故郷に戻るには、金も時間もかかり、しょっちゅう“帰省”することは叶わないが、盆には先祖の墓参り、そして年末年始は実家に顔を見せるというのが世間一般のルーティーンだったと思う。
自分自身もそんな“ルーティーン”を守り続けてきたが、コロナ禍以降はさすがにそうも行かなかった。なにしろ実家に一人暮らしの母親は、齢は四捨五入したら90歳。下手に実家に戻ってコロナをうつしたりしたら、それこそ洒落にならない。それでも2021年の年末の第6波直前の時期、感染者数が一時的に減ったタイミングに帰省したのだが、その後はコロナの状況も文字通り一進一退で、なかなか帰省に踏み切れなかった。
それが最近は政府もマスクの脱着は個人の自由というところまで規制を緩め、コロナのせいで帰省を躊躇するような状況でもなくなってきた。個人的にはまだまだ安心できないと思うのだが、このあと皆マスクをしなくなって再度感染拡大、というシナリオも十分考えられる、というわけで帰省するのはこのタイミングしかないと、年度末に余った有休を活用して平日に帰省したのだった。
交通手段は自家用車。平日で首都高がどれくらい混雑しているか、多少心配ではあったのだが、いざ走り出してみると予想を遥かに超えた大渋滞に遭遇した。それはそうだろう。何とその日は韓国大統領来日当日。千葉北インターから湾岸道路を東京方面に進むと、羽田はまだずっと先の市川辺りからパタリと動かなくなった。事前に調べておかなかった自分も悪いが、これほど大規模な交通規制をするなら、もう少し大々的に周知してくれてもいいのでは。まあ、今更そんなことを言ってもしようがなく、レインボーブリッジ方面への分岐の辺りまでは我慢を決め込んだ。
その後は、比較的スムーズだったが、それでもいつもよりは一時間以上は多くかかって無事実家に着いた。
帰省した際の夕食は、大抵、近所に住む弟家族を誘って実家近くの店でとるのだが、今回は平日ということもあり、弟たちは都合がつかないと言う。どうしたものかと考えて、結論は街のホテルのレストランで母親といっしょに夕食を取り、その後はホテルに一泊するというプラン。最近は、帰省した際も実家に泊まるのは控えて近所に宿を取るようにしていた。母親は「ウチに泊まれ」とうるさいが、泊れば布団の上げ下ろしやシーツの洗濯もある。シーツ持参という手もあるが母親の性格からして、何もしなくていいと言っても、事前に布団を干したり、何やかんやと手間をかけるに違いない。そんな、普段と違うことをして、怪我でもされたら後悔してもしきれない。
そんな訳で、自分がホテルに泊まることは母親には伝えていたのだが、ホテルで夕食、そしてその後はそのまま宿泊というのはどうかと本人に尋ねてみると、意外なことに、まんざらでもなさそうな様子。それでは、ということで、夕食はホテル内の和食屋で取り、そのまま母親と二人で宿泊することとなった。
ホテルに到着して、まずはチェックイン。部屋は広めのツインを予約していた。最上階で窓からは眼下に狩野川、視界の右端には駿河湾も入る。Gotoキャンペーンの恩恵か、思いの外安価で泊まることができたのだが、母親は何よりその景色が気に入ったようだった。和食屋の予約の時間まで、飽きることもなく外を眺めていた。
予約時間通りに和食屋にいくと、そこそこ席は埋まっていて、家族と思しき大人数のグループもいる。こちらは窓際の席に案内され、地元の味を堪能した。
2時間ほどかけてゆっくり夕食を取ったあとは大人しく部屋に戻り、母親と二人、テレビを見ながら久しぶりにたわいもない話をした。
テレビではWBCがかかっていたのだが、意外にも母親はWBCのファンらしい。聞けば「他のチャンネルはつまらなくて」と言う。大谷選手の活躍ぶりもしっかりチェックしていた。

そうこうするうちに時間は過ぎ、11時過ぎには就寝となった。明日は墓参りだね、などと言いながら眠りについたのだった。