アラ還オヤジの備忘録

雑感や、その他諸々。

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

四年ぶりの国内旅行(最終日)


スポンサードリンク

朝は7時起床。母親は少し早めに起きて温泉に。カーテンを開けると外は曇り空。芦ノ湖の水面も灰色だ。
8時すぎに朝食会場に移動。昨晩、夕食を摂った後に、次の朝は洋食か、和食かを確認された。少し迷って和食にすることに。というわけで2階にある和食の店に向かう。
四年ぶりの国内旅行(二日目)に書いた通り、朝食バイキングが苦手な自分だが、

sugo-mane.hatenablog.com

こちらの店はありがたいことに決められたメニューが席まで運ばれてくる。ご飯は普通に炊いたものかお粥が選べるというので、自分はお粥、母親とカミさんは普通のご飯を選ぶ。そのあとおかずを盛ったお膳が運ばれてきたのだが、その中に山芋もあって、お粥にしたことを少し後悔する。1時間ほどかけて美味しく頂いたが、メニュー全体はこのクラスのホテル、旅館の朝食としては標準的な内容。次回は洋食の朝食も試してみたいと思った。
食事を終えて部屋に戻り、出発の支度をする。チェックアウトの前に、母親がホテル内のショップでおみやげを買うのに付き合ったのだが、その量といったら半端ない。ご近所や親戚に配るというのだが、それにしてもお店の店員さんもびっくり仰天レベルのお買い上げで、自分が一緒でなかったら、とても一人では持ちきれないだろう。母親にしても旅行は本当に久しぶりなので、これまで回りからお土産をもらうばかりだったことを考えると仕方ないか。
午前10時すぎにホテルを出て実家に向かう。(せっかく箱根に来たのに観光しないのか)と思われるかもしれないが、箱根は子供の頃から親に何度も連れられてきた。家から車で1時間もかからないという立地もあって、週末の日帰り観光にちょうどよかったということもある。父親の車に乗せられて箱根、十国峠、伊豆スカイライン辺りをドライブするのが定番だった。当時は富士見ランドというレジャー施設もあって、そこもよく訪れた。今はもうその名前を聞くこともないが、当時は地元ではメジャーな施設だった。
それにしても、当時はまだ週休二日制が一般的になる以前。父親は休みは日曜だけのはずだったが、休みにはあちこちに連れて行ってくれたものだった。翻って自分はと思うと、土曜も休みでも生来出不精なこともあり、息子を連れて何処かへ出かける回数は、自分の父親と比べると随分と少なかったような。自分の父親に限らず、当時の大人たちは自分達と比べて随分と“元気”だったような気がする。
話がそれたが、そんなわけで、箱根で主だった旧跡、観光スポットは経験済み(“海賊船”に乗ったのも、1回、2回ではありません)、今日のメインイベントは父親の墓参りということで、一路、沼津に向かう。
再び話がそれるが、最近の車はスマホと連携して、いろいろなデータを取ることができる。ウチの車もスマホにアプリをダウンロードしてbluetoothで繋ぐと、様々なデータが車からスマホに送られてくる。自分的によく見るのは“区間燃費”。石炭で走る軽EVはエコか?で、うちの車は、EVでもハイブリッドでもないと書いたが、

sugo-mane.hatenablog.com

実家からポーラ美術館への行程の区間燃費は11.5km/L。沼津から箱根山までひたすら山坂道を登り続けるルートにしては悪くはないのでは。一方、ホテルから沼津に戻る行程はというと24.3km/L。こちらは下りばかりのルートなので、これぐらいの燃費は当たり前か。
さて、沼津に着いて、最初に訪れたのは実家の近所のスーパー。墓に供える花と、昼食用の惣菜をささっと買って、一旦自宅に戻り、線香その他の“墓参りセット”をピックアップ、そのまま墓地に向かう。
実家に帰省(二日目)で書いた通り、自分は今年4月にも墓参しているが、カミさんは4年ぶりということになる。コロナ前は年に一度は墓参を欠かさなかったことを考えると、コロナで随分と生活が変わったのだなと改めて気付かされる。
カミさんと一緒に線香を上げ、手を合わせて家族の平穏無事を感謝して墓を後にする。
実家に戻って、スーパーで買った惣菜での昼食もそこそこに、今度は実家から自宅へ出発。前回は韓国大統領の訪日もあり、都心をさけてアクアラインを使って房総方面に渡る“大迂回”コースを取ったが、今回は東名町田インターで東名を降りて湾岸方面向かうと、後はそのまま千葉までというルートで、特に渋滞に巻き込まれることもなく無事帰宅できた。

自分的には車の運転手ということもあり、なかなかのハードスケジュールだったが、こうしてまた旅行に出かけられるようになったことを有り難く感じるのだった。